「再びのトルコの旅、前半」「「トロイの遺跡」

「J  REPORT 2014 1月第5週号$1月第1週」
「リタイアメント・ノート 5年8ヶ月目」、
「VOL。831 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦48、再びのトルコ旅行」
最初トルコを訪れたのは、2009年11月だった。それから3年余、再びトルコを訪れることになった。
第一日目(1月21日、火曜日)
トルコ航空の直行便でイスタンブールへ向かう。まずは成田のANAラウンジで日本蕎麦を食べる。いつもの通りだ。イスタンブール到着後は夕食がないとのことでラウンジからサンドイッチやチーズを持ち出す。そうしたら突然私の名前が呼ばれた。何と昔の同僚がいるではないか。それは「S君」だった。私より4歳年下だが、大手商社時代の同じ部に勤務していた同僚だった。世の中は狭いというか、偶然とはびっくりだ。彼はこれからタイのバンコク経由ラオスに行くという。ジェトロに再就職しての出張だそうだ。さて、私はプレミアムエコノミーで12時間の空の旅だ。機内で単行本を3冊半読んだ。30分ほど寝たが、殆どは本を読んでいた。さて今回もトルコを反時計回りでほぼ一周する旅だ。二度目のトルコだ。イスタンブールは気温15度と比較的暖かい。明日からは風も強くなるというが、気持ち良い気候だった。人口16百万人の大都市イスタンブール。道路は慢性的な渋滞だった。これではオリンピックは無理だろう。人の割合に対して土地がなさ過ぎる。東京のほうが余程余裕がある。発展途上の国だから仕方がないが、小さな土地に人々が住み過ぎている。我々の今回のツアーは何と7名だ。我々「3S会」の男性3名の他には、女性同士の2組4人だけだ。これほど少ないツアーもまれだろう。昨年6月の反政府運動と、カッパドキアでのバルーン墜落と女性観光客殺人事件の余波で日本人観光客が激減しているという。それでも機内からは結構な数の日本人ツアー客が降りてきていた。だからエコノミークラスの座席は7割程度埋まっていた。流石にプレミアムエコノミー席は1割程度の埋まり具合だったが。そうそう、驚いたのは入国時に書類記入がないことだった。所謂入国カードが不要なのだ。

第二日目(1月22日、水曜日)
いよいよトルコの旅に出発だ。イスタンブールのヨーロッパ側、即ちバルカン半島側だが、4年間の間に大きく変化していた。まずイスタンブール郊外のベッドタウンが猛烈に発展していたという現実。確かにこの10年間でトルコは経済規模で3倍になり、世界第16位、ヨーロッパ第5位の準経済大国(GDPは約90兆円、国家予算は15兆円)?更に驚くのは、イスタンブールの人口は16?17百万人だが、実際にはイスタンブールに住む人の数は4百万人も多いというのだ。シリアからの難民にしても、2百万人がトルコに住んでいるという。その他周辺国からの人たちが沢山トルコで暮らしているという訳だ。郊外の発展も凄いが、道路も本当に良くなっていた。そして日本との間にFTAや原発、更に海峡の新橋建設等の契約が進展しつつあり、日本との間の関係強化が更に強められているという。地元ガイドによれば、「日本人は兄弟だ」という。さてフェリーでアジア側に渡る。道路が素晴らしい。殆どが片道2車線の準高速道路だ。「小アジア」と呼ばれるこの地域は、「歴史の宝庫」だ。「旧約聖書」の内容が一杯この当たりにある。例えば、「ノアの箱舟」が東部の山岳地帯で見つかり発掘中だという。イスタンブールの地下鉄の駅建設工事中に大成建設が古代遺跡を見つけたり、と枚挙にいとまがない。本日の目玉は「トロイの遺跡」だ。勿論世界遺産だ。ここはホメロスの叙事詩に影響されたドイツ人の「シュリーマン」が発掘発見したことで有名だが、歴史の見方をトルコ側から見るとまた視点は変わって来る。トルコ人の現地ガイドによれば、彼はトルコ政府の発掘許可も得ずに勝手に掘って遺跡を破壊したという。なぜならばトロイは紀元前3000年から紀元500年の間に「9回」町を造り、9回破壊さという歴史があるのだが、それを知らないシュリーマンがただ掘り出して、めちゃくちゃにしてしまったというのだ。そして貴重な遺跡の宝物も勝手に持ち去ってしまったという。戦後ドイツからソ連に強制的に移った宝物は未だにトルコには戻ってきていないという。今、トロイでは慎重に発掘作業が続けられている。木道が作られており、歩き易くなっていた。また「トロイの木馬」も前回のイメージと違って、大きく綺麗になっていたと思って、昔の写真を携帯から取り出してみたが、一緒だった。多分ペンキを塗り替えたのだろう。夕暮れ時から空には星が瞬いていた。

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