「お稲荷様」
江戸の町には沢山の「お稲荷様」があった。今も日本橋周辺には数多くお稲荷様がある。江戸名物として「伊勢屋、稲荷に、犬の糞」と言われていたように、沢山の伊勢屋という屋号の店とお稲荷様、そして沢山の犬の糞が落ちていたという。実に小さな稲荷だが、それぞれの町々には必ずあったというから素晴らしい。そしてその社を腸内の誰かが掃除し清めていた。民衆信仰に息づいたお稲荷様。多分「油揚げ」も誰かがお供えしていたのだろう。
「江戸の庶民の生活は楽だったか?39」
「品川宿と御殿山」
三代将軍家光の別邸「品川御殿」があったことから「御殿山」と呼ばれるようになったという。家光公はその治世18年間の間に200回以上この御殿を訪れていたという。元禄15年(1702年)四谷から出た火災の飛び火で全焼焼失。その後再建されなかった。江戸時代、「桜の名所」と言えば、八代将軍吉宗が植えさせたという「飛鳥山」「墨田堤」、それに将軍の菩提寺でもある「上野山」、そして「品川」だったという。品川宿は「飯盛り女」という名前の「女郎」がいた事でも有名で、品川が江戸から上方に上る際に永の別れを惜しむ旅人と江戸の人の最後の出会いの場でもあり、逆に上方から下ってきた旅人が江戸に入る前に旅の疲れを休め、翌日の江戸入りに備えた宿でもあったが、一番の交通の要衝でもある「東海道一の宿場」でもあった。桜を眺めに訪れた客はちょっと宿に泊まって、ついでになんて考えていたのかも知れない。そんな品川宿だったが、今のJR品川駅は昔は海だったようだ。