「馬庭駅と麦秋」

「馬庭駅と麦秋」
帰りの電車で「馬庭駅」というのに停車した。思い出した。ここ「馬庭」では江戸時代、「馬庭念流」という剣術が盛んに学ばれていて、武士だけでなく農民も町民もこの地方では剣術が盛んだったと時代小説に書かれていたのを思い出した。上州のこの辺りで盛んだったのが「馬庭念流」なのだ。へえ、この辺のものだったんだ。線路脇の畑に黄色い植物がたくさん植わっていた。「小麦」だった。丁度季節は「麦秋至」、麦の収穫の時期だった。上州は美味しい「うどん」の産地だ。そのためには「小麦」がないと駄目だ。「七十二候」の「麦秋至(ばくしゅういたる)」は暦では5月31日だった。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?52」
「継飛脚」
幕府の「継飛脚」は、御用提灯を持った先駆けと小さな挟み箱状の小葛籠(こつづら)を担いだ二人組みが次ぎの宿駅で二人組みと交代しながら、江戸と大坂の間を昼夜ぶっ通しで走り、最短三日で運んだという。これは公儀の継飛脚だが、民間の商人たちも三日から四日で「町飛脚」を走らせたという。その料金が四両二分(約45万円)だったが、大坂堂島の米相場を江戸に知らせたりしたようだ。まあ江戸時代も情報を先取りしないと儲からないというのは現代を一緒だったのだ。

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