「アイルランドの旅、前半」

「J  REPORT 2014 7月第2,3週」
「リタイアメント・ノート 6年1ヶ月目」、
「VOL。854 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦52、アイルランドの旅、前半」
「成田からアブダビ、そしてダブリン」
エティハド航空で成田から約9200kmのUAEのアブダビに来た。約11時間の旅だった。成田のANAラウンジでは偶然にも元の会社の、且つ大学も同期のG君夫婦にお目にかかった。これからギリシャでのクルーズ旅行だという。彼らはビジネスクラス、私は残念ながら今回はエコノミーだ。それでもラウンジで美味しい白ワインを飲み、いい気分で飛行機に乗れた。機内ではワインの影響もあり、かなり眠った。さて日本時間翌日午前9時、アブダビ時間午前4時に到着したアブダビはまだ夜明け前、気温30度だった。行ったり来たりしながら漸く「アブダビ・ラウンジ」に到着、アルコールはないが、紅茶で軽食を食べ、今こうして書いている。エティハド航空はUAEの国営航空だそうだ。まだこれから8時間以上かけてアイルランドのダブリンまで行く。航空内移動のバスで隣に座ったおばさんに話し掛けて、次の行き先を聞いたら、パリだという。パリで子供の結婚式があるという。大人数なので直行便ではなく、南回りの安い乗継便で行くという。エミレーツもエティハドも中東の航空会社は世界的な航空網を張り巡らし、中東をハブ空港にしようとしている。ここアブダビでの滞在時間は、約4時間だ。アイルランド共和国は57か国目の訪問国になる。イギリス領の北アイルランドと合わせてアイルランド島をほぼ一周する旅だ。南北戦争当時、沢山のアイルランド人がアメリカに渡り、北軍として参戦したという。戦後は警察官になる人が多く、ニューヨークの警官は伝統的にアイルランド系多いと聞く。その他アイルランド民謡(ダニーボーイ等)が日本では知られているのだろう。この程度の知識しか持ち合わせていない。また、19世紀半ばに欧州を襲った飢饉(最大の飢饉はジャガイモ飢饉と呼ばれ1845年から1849年にかけて起こった)の時に、飢えとイギリスの圧政を逃れて多数のアイルランド人がアメリカに渡ったこともアメリカにアイルランド人の移民が多いことの理由なのだろう。この時アイルランドの人口は800万人だったが、100万人が餓死し、100万人が移民となったという。さて36度のアブダビを出て、約8時間、6100kmでアイルランド共和国の首都「ダブリン」に着く。気温17度。途中、イラク、トルコ、ブルガリア、ポーランド、ドイツ、オランダ、そしてイギリス上空を通過した。ここまで成田を出発して何と25時間だった。

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