「SASUKE PARK」

「SASUKE PARK」
先週も豊洲のことを書いたが、その時にもお話しした「SASUKE PARK」というテンポラリーな施設がある。多分夏休みだけなのだろうが、仮設の鉄パイプを組み合わせた施設を歩いたり走ったり登ったりするのだろうと思う。なにぶんこの近くに行くのは早朝の散歩なので人は全くいない。今日も朝から熱い日差しが強い。35度を超えるだろうと天気予報は言っていたが、正に実感だ。

「江戸時代の東海道の安全性」
竹村公太郎著「日本史の謎は地形で解ける」「環境・民族編」の中で「なぜ9歳の本因坊秀策は東海道を一人旅できたのか」という項目がある。それによると9歳の少年が広島の尾道から江戸まで一人旅をしたというのだ。広重の「東海道五十三次」の絵を観ると分かるらしいが、旅人が勿論「老若男女」が旅をしている姿が描かれているという。故に当時の東海道は安全な街道だったというのだ。だが我々が知る東海道には「雲助」や「追いはぎ」が出たと教えられてきたような気がする。実はそれらは宿場が旅人を泊まらせようとして作り出した創作だというのだ。東海道には53の宿場があるが、江戸と京都を歩けば大体2週間ほどで着けるという。従って宿場は多くても20ほどでいいわけだ。だが53もあるのだから、当然競争は激しい。宿場では客を泊まらせるためには「危ないよ。早く宿を見つけて泊まったほうがいいよ。追いはぎが出るよ」といったデマだったというのだ。これも納得だ。安全性の証明は広重の絵で分かるというものだった。面白い。

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