「J REPORT 2014 10月第5週」
「リタイアメント・ノート 6年4ヶ月目」、
「VOL。870 SINCE AUG.12th、1983」
「墓参り」
10月22日は母の命日だ。2005年のその日、私は北海道知床にいた。1週間前に母を実家に訪ねた時には、いつものように「仕事は大丈夫か?身体は大丈夫か?」と聞かれた。毎度のことだった。そして「大丈夫だよ」と答えると、血圧計を出し、母の血圧を計るように頼むのだった。毎回これの繰り返しだった。母はいつも母の姉と電話で話している。一日の大半は電話中だったような気がした。そんな母の訃報を聞いたのが、知床を走るバスの中だった。実家に同居している妹夫婦の息子、私からすると甥から電話があり、母の死を知った。前日ANAの便で釧路に行き、釧路湿原を経て知床の入口「斜里町」で一泊して、早朝からバスで知床半島へと向う途中だった。ショックで何も考えられなかった。だが直ぐに戻らなければならないと考え、バスの終点で折り返しのバスを探したら女満別空港へ向うバスがある事が分かり、JALの予約を取った上で、漸く女満別経由で羽田に降りたのは午後2時過ぎだった。そのままタクシーで横浜の実家に向った。私が帰宅したその直前、母の遺体は警察の監察で死亡が確認されて戻されたばかりだった。母は眠ったまま苦しまずに死んだのだろうか?甥が朝食事を運んだ時に発見したという。苦しまなかったことを願うばかりだった。そんな日から9年が経った。命日には青山墓地に墓参りに行った。東京は寒く、冷たい雨が降り頻っていた。除草剤のお蔭で雑草は生えていなかった。簡単に掃除し、花を取り替えて、新たな除草剤を撒いてから、線香に火を点し、般若心経を唱えた。