「花嫁」

2月27日(金)
イスラムの休日だ。朝からヒヴァは快晴だ。雲一つないが、屋根には雪が残っている。今日は一日徒歩での観光らしい。楽しみだ。13世紀頃から続く古い城壁都市がヒヴァだそうだ。全長2.2kmの城壁に囲まれた古い都で勿論世界遺産だ。東西南北4つの門が出入り口だ。そして内部はイスラムの尖塔「ミナレット」が立ち並び、城壁内には王宮が幾つかと、モスク、霊廟、墓、一般市民の家等々がある。ここに住む人たちは昔からの住民で所謂特権階級のお金持ちが住んでいるという。空が綺麗だ。数日前に降った雪がそこかしこに残っているが、空は真っ青で澄み切っている。建物の中にはタイルで装飾が施されたものがあり、その色は空を表す青と紺色で出来ている。正に東西文化の融合地点だ。「ハーレム」とはアラビア語で「禁止」という意味で、王様以外には立ち入り禁止地区なのだという。王様は4人の后と40人の側室とハーレムで暮らしていたという。大変なことだ。ご苦労様でした。気温は5度、日差しがあれば暖かいが影になるとやはり寒い。ダウンジャケットは離せない。街の人たちはスラブ系やアジア系、イラン系、ヨーロッパ系と色々混ざっているようだ。黒人は一切見なかった。美人が多い。イスラムの休日なのだろうか、結婚式を二組観た。初々しい花嫁さんだった。こちらの人の平均寿命は女性70?75歳、男性60?65歳程度で低いから女性の結婚年齢は18?9歳だそうだ。20歳を過ぎると晩婚だというらしい。ここは元々砂漠の中にある街で近くを大きな川が流れていて、水は豊富な所らしい。もう一つ驚いたのには現地人は金歯が多いということだ。虫歯になると金を被せるということだ。上下の前歯全部が金だという人が何人もいた。笑うと恐ろしい。昔の日本の農村の人もそうだったよね。観光地だけあり物売りが沢山いる。売りに来るのは毛糸やラクダの毛の手編みの靴下、絹やパシュミナ、ラクダの毛のスカーフ、ミンクやその他の動物の毛皮の帽子、木彫り細工、アクセサリー等々だ。値段は交渉次第、支払いは米ドルだ。私は買わなかったが、パシュミナのスカーフを3枚20ドルで買っていた人もいた。中心部に昔の奴隷市場があった。戦争で敵国の捕虜を奴隷にして売っていたという。また刑務所もあり、犯罪者を収容したらしいが、一番驚いたのは姦通した妻に対する処罰で、市民の目の前でミナレットから突き落として殺したり、袋の中に妻と野良猫を3匹入れて口を縛り、棒で叩くと中の猫が妻に爪を立て最終的に妻が死ぬという刑罰があったという。これも恐ろしいがイスラムの風習なのだろう。雪を解かすために道路脇の雪を日の当たる場所に振り撒いている一群の人たちがいた。リーダーは男性のおじさん、作業員は女性陣。おじさんがどなりながら作業をさせていた。おどろおどろしい風景だった。女性も皆働いているのが元社会主義国の特徴なのかもしれない。物売りの大半は女性だった。地元の料理にも慣れて来た。大体がサラダ類が前菜で出て、スープ、メインディッシュ、デザートだが、野菜類は豊富だし、肉は鶏肉、ラム肉、牛肉とバラエティーに富んでいる。卵料理も多い。朝がビュッフェ形式でなく、セットメニューなのが辛い。お菓子風のパン類、チーズとハム、玉子焼き、ナン、これでは食欲が湧かない。勿論食べるつもりはないのだが、野菜か果物を食べたいのだが、無理なようだ。一日ヒヴァで過ごし、夜に飛行機でブハラに移動する。今度はエアバスのジェット機で乗り心地もよかった。ホテルには午後11時到着。疲れた割には緊張して眠くない。今日もウォッカを3杯も飲んでしまった。実は白状するとタシケントの空港で私一人飛行機に乗り遅れそうになった。待合室で本を読んでいて、コールが聞こえず、慌てて最後の一人で乗ることが出来た。危なかった。

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