「薬喰い」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?70」
「薬喰い」
薬喰いと称して江戸の人たちも「四足」の動物の肉を食べていた。通称「百獣屋(ももんじや)」と呼ばれる店で、獣の肉を煮炊きして食べさせていた。こういう店は後始末や臭いのために川の近くの橋の袂にあった。「山鯨」とは「猪の肉」であり「牡丹」とも呼ばれていた。因みに「紅葉(もみじ)」とは「鹿の肉」で、「桜」は「馬の肉」の符丁だ。牛の肉も井伊家から将軍に味噌漬けの牛肉が献上されていた記録もある。明治以降は四足も解禁されて「牛鍋」などが庶民を楽しませた。今も両国橋の袂に「ももんじや」が現存する。そこで猪の肉を食べた経験もあるが、中々美味しかった。確かに肉独特の臭みがあるようだが、煮汁が効いていて充分に食べることが出来た。また桜鍋は森下に有名な店「みのや」があり、そこでも数度食べたが、美味しかった。これらは江戸時代からの流れなのだろう。
「鎌倉河岸」
江戸城の石垣を造るために運んできた石を陸揚げしたのが「鎌倉河岸」だった。なぜ鎌倉と呼ばれるようになったかというと、そこで働いていた石工、人足らが鎌倉出身者が多かったからだという。またそこで働く人たち向けに「豊島屋」という酒屋が立ち飲みで酒を販売したところ、これが人気を呼んだという。更にこの豊島屋で田楽を酒の肴にして売り出したら、これまた大当たりだったという。これが江戸の「居酒屋」の発祥だと言われている。面白い話しだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。