「日曜、銀座の歩行者天国」

「日曜、銀座の歩行者天国」
相も変わらず銀座の歩行者天国には沢山の人が歩いていた。中には自転車に乗って走っている不届き者もいる。本当に危険な行為だ。聞こえてくる言葉はどうしても声高に叫ぶ中国語が多い。傍若無人に話す中国語はどうして大きな声になってしまうのだろう。彼らは小声で話すという習慣がないのだろうか?疑問に思ってしまう。今、韓国が「MERSコロナウィルス」で混乱を来たしている。元々中国人旅行客は韓国には年間600万人以上訪れていたと思う。日本への中国人旅行者の2倍以上だ。日本と韓国との彼我の差を見てみると、人口は日本の45%程度、GDPは日本の約4分の1でその内50%が輸出向けだ。だから国内需要が如何に少ないかということになる。だからこれで経済に停滞が起き、何かの原因で輸出が落ちたならば、実に危うい経済準大国と言うことになってしまう。GDPだけで見るとオーストラリアとスペインの間の13位、確かにアジアでは中国、日本に次ぐ3位だが、危うさを内包した国と見るべきだろう。現実通貨高は輸出企業を痛めつつある。歩行者天国に果たして韓国人は何人いるのだろうか?嘗ての日本も輸出依存国だった。だが今の日本は海外需要を現地での生産で補い、外需は日本からの輸出ではなく、現地生産や三国間貿易に切り替えて経済力を増そうとしている。もはや日本は生産基地ではないのだ。今、日本の総合商社の稼ぎの大半は海外なのだ。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?72」
「江戸幕府の役人」
江戸幕府の役人は2人で1役を交代分担するという巧みさが実はあった。例えば町奉行所だが、江戸には「南北両奉行所」が月極で交代で治安や内政に対応していた。遠国(おんごく)奉行の一つでもある「長崎奉行」も江戸と長崎に一人づついて毎年交代して赴任していた。大坂と京都は「東西両奉行所」があり江戸と同じく月極で交代していた。老中もしかり、若年寄等もそうだった。この交代制というか二人制はそれぞれに対する相互監視の意味も含めて確かに効果があっただろう。中々の知恵だったといえよう。権力の集中を避けたのだろう?

「禄」
武士たちは主人に忠勤を励むご奉公の見返りとして「禄」と呼ばれる給料を得た。直参の場合は、「地方取」と「蔵米取」の二つの禄の形式があった。地方取と言うのは、領地を与えられ農民から年貢を徴収しそれを給与とする者達で旗本などの上級層の武士が多く、蔵米取は領地でなく幕府の蔵米を給与として支給される者たちを指し、中下層の武士だった。禄米の支給を「切米」といい、蔵米取を切米取とも言った。「禄」「禄米」は年に3度渡された。春二月に四分の一を、夏五月に四分の一を、そして冬十月に二分の一を支給された。これは享保八年(1723年)に制度化された。だが、貨幣経済が進むにつれ、領地から上がる禄米(普通は4公6民だったが、江戸後期になると苦しい台所から5公5民となり、悪いところでは6公4民と民から搾り取るようになっていった)は増えないものの、物価は上昇するため、禄の前借と称して何年も先の禄米を担保に金を借りるようになっていった。そこで「棄損令」などという悪法がまかり通るようになるのだった。謂わば借金棒引き令だ。

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