「佃島の住吉神社」

「佃島の住吉神社」
この神社の歴史は結構古い。江戸時代初期のお話しだからだ。ご存知の方も多いと思うが、徳川家康が幕府を開いた時代にまで遡る。天正10年6月2日、「本能寺の変」が起きた時、信長に茶席に招かれ、大坂にいた家康を摂津の漁民が船を出し、大坂から堺へ逃がし、家康はその後陸路伊賀越えして無事に三河に落ち延びた。その時の恩を家康は忘れておらず、江戸に幕府を開いた後に摂津の漁民達を江戸に召して、今の佃島に住むようにし、隅田川河口で取れる「白魚」の独占的漁業権を与えたのだった。その結果漁民達は白魚を将軍家に献上するという栄誉を与えられたという。そういった伝統があった。彼らが祀ったのが今の「住吉神社」だから由緒あるのだ。今、佃島で当時の伝統を粛々と続けてはいるが、佃煮の老舗は「天安」一軒しかなくなってしまっている。同じネタものを佃煮として製造しても天安の名前で売ると倍以上となるらしい。ネタの魚介類は昔は江戸前だったらしいが、今は大半が輸入だと旅行でご一緒したある人が言っていた。その人は天安にネタを卸している人だった。元々「佃煮」は、魚介類や野菜、海苔などを醤油、味醂、砂糖で味濃く煮しめた保存食であり、江戸は佃島で作られ始めたので全国的にも「佃煮」と呼ばれている。果たして江戸時代の漁民の子孫の方は何人佃島に残っているのだろうか?もう周囲は殆どマンションだらけだった。

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