「ブルガリアは薔薇の国」

「ブルガリアは薔薇の国」
7月9日(木曜日)
前日は上海市場からの株価下落の影響で東京株式市場も全面安になったようで、持ち株の動きが心配になる。WIFIのほうはこちらのホテルではパソコンもスマホも無事に繋がり、メールも問題なく通じた。午前9時ホテル出発して、「カザンラク」という街にある「トラキア人の墓」に行く。紀元前3世紀頃のもので内部の壁画がこれもフレスコ画で描かれており、素晴らしいものだったが、勿論世界遺産だが、実は公開しているのは複製で実物は見学禁止だった。まあ「高松塚古墳」のようなものだと思えばいいだろう。知らなかったが、ブルガリアは「薔薇の生産」が世界的にも有名だとのこと。特にローズ・オイル、所謂「薔薇油」の生産では世界一でその4分の3がブルガリア製だというのだ。驚いた。薔薇の花を5月から6月にかけて収穫し、約3トンから3.5トンでたったの薔薇油1kgにしかならないという。勿論薔薇の花を蒸気で蒸して出た蒸気を冷却し、水と油に分ける。こういった工程を何度か繰り返すことにより純度の高い薔薇油が採れるという。この時合わせて薔薇の水も採れ、これを原料にしてお菓子やリキュール、ジャムなども作られるという。昔は薔薇油1gが金1gに匹敵したという。勿論香水の原料になるものだ。副産物としては化粧水や石鹸が生まれるらしい。さて次は薔薇製品の店(写真)だ。ここで皆さん沢山の薔薇から作られた土産品を買い求めていた。その後丘陵地帯をひたすら走る。大きな「向日葵」と「ラベンダー」の畑に出会った。一面の「向日葵とラベンダーのお花畑」は本当に美しかった。「タルノヴォ」という昔のブルガリア王国の首都へ行く途中で「エタル」という山間の村に「野外民族博物館」なるものがあり、そこを見学。電気のない時代の物の生産はどうやったのか?がテーマの博物館だった。要は川に沿った村では水力を利用して、水車を回して粉を挽いたり、ろくろを回して陶器や木工製品を作ったり、水力洗濯機でカーペットの洗濯をしていたということを見せていたのだ。タルノヴァには周囲3kmの城壁に囲まれた城があり、12?13世紀、ブルガリアの首都だったという。今は経済大学がある人口7万人ほどの中程度の都市だ。山間にそびえ立つ城は迫力満点だった。ホテルでネットに繋げようとしたが繋がらない。スマホだけロビーに持って行ったら繋がったから部屋では電波が弱過ぎるようだ。ネットが部屋で使えないというのは本当に困る。明日はどうなるのだろう?ネットが繋がるホテルだといいが。
7月10日(金曜日)
早朝、起き出してロビーに行き、スマホとパソコンをネットに繋ぐ。成功しました。メールを受信し返信し、その後歩いてお城まで出掛けた。片道約10分の下り坂、空気が澄み切っていて気持ちいい。気温は恐らく17?8度位ではないだろうか?歩くとちょっと汗ばむ。北上し「イワノヴォ」という街に向かい、岩窟教会なるものを観る。切り立った崖に中腹に穴を掘って作った教会でここにも内部の壁画が有名らしい。次は国境を越えてルーマニア位に入る。何とか首都のベオグラードに入ったが、ここから大渋滞が始まった。高速道路なし、抜け道なしで延々と続く渋滞に巻き込まれてしまった。ルーマニアは人口1900万人、国土の広さは日本の本州と同じくらいだというが、ベオグラードを抜ければ郊外は田園地帯ばかりだ。週末のために郊外に行く車の列には閉口する。ルーマニアとブルガリアのどちらが豊かなのだろうか?驚きは農村地帯で数多くの馬車を見掛けたことだ。それもちゃんと荷物を運んでいるのだ。これは車を買えない貧しい農民だからなのだろうか?牧場には羊や牛や馬が沢山いた。また石油が出るらしく、リグも動いているし、化学工場もあった。冬の暖房用の太いパイプが道路沿いに走り、庶民の家を暖かくするという。如何にも寒冷地らしいものだった。これも共産党時代のものらしい。この国は1989年の革命で共産党が滅び、チャウシェスク大統領夫妻が殺された事件はよく覚えている。バスでの移動中は渋滞だったが、逆に雨が降っていて視界を遮ったが、ホテル到着時には雨も止んでいた。しかし予定を大幅に遅れており、午後9時過ぎにホテル到着。すぐその足でレストランに入って食事となった。白ワイン50レイ、日本円で約1500円だったが、全く冷えていなかった。最初、白ワインのボトルを頼んだら、500レイだという、これだと1万5千円だ。全くおかしいので問い詰めると間違いで50レイということになった。さて、部屋ではネットは通じず、レストランでスマホが繋がっただけだった。ネット環境はよくない。結局パソコンのメールチェックは出来ずじまいだった。明日以降にベオグラードでやるしかないだろう。だが朝ロビーから接続出来ました。

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