「ルーマニアはドラキュラの国」
7月11日(土曜日)
午前中、「ビエルタン」という更に北の街で、この地方「トランスヴェニア」の要塞聖堂を観に行く。この地方は昔ドイツ人が移住してきた土地で最初はドイツ人のカソリック向けの教会が建てられたのだが、後に宗教改革でドイツ本国がプロテスタントになったため、この教会もプロテスタントの教会に模様替えしたという。また、1989年の革命後、多くのドイツ系の人たちはこの地を離れてドイツに戻ったので、そのあとに住み着いたルーマニア人はドイツ洋式の建物にそのまま住んでいて、街はドイツの中世の街の雰囲気を漂わせていた。物乞いもいたので、この辺はブルガリアとの差かも知れない。本日は結構強行軍だ。更に北に行き、「シギショアラ」の旧市街地を歩いた。中世がそのまま残る伝統的なヨーロッパの姿を色濃く示している街だ。その後出発点のブラショフに戻り「黒の教会」を観た。何のことはない。普通のゴシック様式の教会が火事で炎を浴び、煤で黒くなったため、それまでの「ヴァージン・マリア教会」が通称「黒の教会」と呼ばれるようになったとのこと。何か馬鹿らしい。旅ももう第4コーナーに掛かろうとしている。黒の教会で夕方コンサートがあるというので一部の人たちは教会に残ったが、私はホテルに戻り、これを書いている。そうそう話し忘れた。シギショアラという街はドラキュラ伯爵の伝説がある街で、伯爵が産まれたといわれている家があったり、「ドラキュラ」という名前のレストランで「ドラキュラの心臓」なる料理を食べたりもした。ご存知の方もおられようが、伯爵がトルコ軍に対して非常に残酷であったために、その話しが元になりアイルランドの作家が「吸血鬼ドラキュラ」を出版したのが世に広まったのだという。心臓料理のほうは、なんてことはない「赤いパプリカに挽肉を詰めたもの」(写真)だった。ブルガリアの気温が35度以上だったのに対し、ここブラショフでは23度と低く、朝などは肌寒かった。この寒暖の差はなんなのだろう?また土曜日ということで結婚式が多かった、歳は聞かないが、私が観た3組は30歳前後からその上だったと思う。晩婚化がここでも進んでいるみたいだった。