「モンゴルの旅」

J  REPORT2018年 5月第4週目」
「リタイアメント・ノート 9年12ヶ月目」
「VOL.1056号 SINCE AUG.12th、1983」
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「モンゴルの旅」「旅暦78」
「第一日目」「ウランバートルから草原へ」
初めてのモンゴルだ。これで71ヵ国目。ミアット・モンゴル航空のボーイング737で成田から約5時間、人口僅か300万人強のモンゴルはあの「ジンギス・ハーン」の国だ。機内から下界を見下ろす。何もない。ただただ広い草原が広がっていた。到着したのは「チンギス・ハーン国際空港」。空港には殆ど飛行機が見えない。唯一我々が搭乗してきた機体だけだ。(写真:M1)M1
外に出る。(写真:M2)

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時差1時間のモンゴルは、現在午後8時、まだ明るい。今の気温は18度か?バスでウランバートル市内へ向かい。おや、スタバがあるぞ。中心部にはかなり高いビルもありそうだ。まずはホテルにチェックイン、WIFIが使えるのが助かる。早速日本にメールし、ネットもチェックする。部屋のテレビは自動的について、NHK総合をやっていた。どうやら新潟の少女殺人事件の犯人が捕まったらしい。

「第二日目」
朝5時半、ホテルを出て、西へ市内中心部へ向かって散歩。どうやらウランバートルは周囲を山に囲まれた比較的平らな盆地のような形をしているみたいだ。1kmほどで中心部、途中昔の古い5階建てのアパートがあった。(写真:M3)

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インド大使館から(写真:M4)
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中国大使館と続く。(写真:M6)
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カラオケ店が非常に多い。(写真:M5)
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国会議事堂があった。裏手だった。(写真:M6)
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長袖のシャツにセーター一枚で出掛けて来たので寒い。気温は恐らく3-4度位か?寒い。しかし日差しは厳しい。紫外線がきつい。熊の親子の像があった。愛嬌がある。(写真:M8)
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約1時間強散歩をして冷えた体でホテルに戻る。いよいよ市内観光の始まりだ。
議事堂の前に大きな広場があった。ここを「スフバートル広場」と呼ぶ。赤の広場や天安門広場みたいなものだ。そこでガイドからモンゴルの歴史を知る。ウランバートルとは、モンゴル語で「赤い・英雄」という意味だそうだ。この広場の中心にウランバートルの中心を示す基準点があった。(写真:M9)
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市民の民族衣装か?寛いでいる。(写真:M10)
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広場の名前はこの国の独立の英雄である「スフバートル」氏の像。(写真:M11)
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ここに書かれている縦長のモンゴル古語の碑文には「大モンゴル帝国のために私は身を捧げます」と書かれていて、周囲を14頭の獅子で囲まれ守られているのは、国境を守るという意味が込められている。(写真:M53)
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モンゴルに人類が最初に入ったのは8万年前頃と思われ、2000年前にこの地にモンゴル人の「匈奴」という国家が樹立された。そして13世紀には「チンギスハーン」が出現し、ヨーロッパからアジアを結ぶ大帝国を築いた。更に彼の孫の「クビラハーン」はそれを拡大、全世界の半分を領土とし最盛期を築いた。しかし、17世紀には満州族が侵入し、その統治下に置かれた。19世紀後半から20世紀初頭にかけて独立運動が盛んになり、1924年正式に独立した時の立役者がスフバートルなのだ。「建国の父」という訳。チンギスハーンは「国民の父」。議事堂の入り口に鎮座している。(写真:M13)
国旗は「赤と青に紋章」があるが、赤は「火」、青は「空」とシャーマニズムを表現している。(写真:M12)
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モンゴル語は13世紀以来、縦書きの古い文字を使用していたが、1924年の社会主義化により、ロシアが使うキリル文字に変更された。しかし1990年の民主化後、再び古来の文字も学校で教えることになったという。今は古い文化を大切にし、二つの言語表記となっている。社会主義時代は宗教は禁止されていた。現在は約50%が仏教徒、35%が無信教者、1%がイスラム教だと言われているが、そもそも無信教者という前に、モンゴルにはシャーマニズムが元からあった。自然崇拝と言えばよいだろう。人口は316万人でほぼ半数がウランバートルに住む。放牧民は25%-30%。仏教はモンゴルには3度の活発な時期があった。最初は2000年前、中国より早く伝播し王侯貴族を中心に栄えた。次が7世紀から13世紀にかけてで、これも上流社会で栄えた。3度目は17世紀からでほぼ国民の100%が仏教徒となった。しかし、前述たように社会主義により宗教は禁止された。
広場に集まっている市民の服装を観てみよう。中々にユニークな民族衣装だ。(写真:M14)
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(写真:M15)
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(写真:M16)
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広場の周囲には、「国会議事堂」「市役所」「郵便局」「外務省」「オペラ座」「銀行」等が立ち並ぶ。街を走る車の大半はトヨタ、それも圧倒的にハイブリッド車のプリウス全盛だ。昔は中古車だったが、今は裕福になり、新車を購入している。
モンゴルは北と東はロシア、南は中国、西はカザフスタン(約39kmのみ)と国境を接している。
さて、「日本人慰霊塔」に向かう。戦後間も無くの頃、ソ連によりシベリアに抑留された旧日本軍人の中の1万5千人がモンゴルに送れら、国家建設の一翼を担ったという。そして1946年から47年にかけて約1200人の日本人がこの地で亡くなった。その慰霊碑を訪れた。中の仏像。(写真:M18)
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慰霊塔。(写真:M19)
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1990年から2000年にかけて、これらの各地に分散されていた遺骨は全て日本に持ち帰られ、慰霊塔のみ残された。そこはウランバートル市内が一望出来る丘の上にあった。(写真:M20)
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漸く春の訪れの花が咲いていたい。こちらの桜だという。(写真:M21)
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昼食は「モンゴル風一人しゃぶしゃぶ」だ。各自の前にIHヒーターがあり、中央のテーブルから具材を取る。まずは「羊肉と野菜」。(写真:M22)
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次々と運ばれてくる具材。キュウリの漬物。(写真:M23)
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〆の「麺」。(写真:M24)
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「牛タン」。(写真:M25)
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「馬肉」。(写真;M26)
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「野菜」。(写真:M27)
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「牛肉」。(写真:M28)
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鍋と調味料。醤油ベースとごまだれ。(写真:M29)
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腹もくちくなったので、いよいよウランバートル市内から西南西に260km離れた村に向かう。
西のゲートを出ると、そこは草原のみ。羊の群れがあちこちに。(写真:M31)
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「オボウ」という神と人間との接点であるパワースポットが立てられていた。シューマニズムの一つの形だ。(写真:M30)
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遠くにゲルが見える。(写真:M32)
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典型的な動物たちの群れがいた。(写真:M33)
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遊牧民は年に4回以上自由に移動しながら生活をしている。草原の土地は国家のものだが、その利用は遊牧民には全くただで使用させている。
彼らが飼う家畜を「5畜」と呼ぶ。「馬」「牛」「羊」「山羊」「ラクダ」だ。モンゴルには約6000万頭もの家畜がいるという。これらは「財産」であり、「食料」であり、「衣食住」全ての資源だ。馬は移動手段としても非常に重要だ。その他5畜からは捨てるものがない。全てを利用している。豚と鶏は余り食べない。冬は極寒の地という気候的な物で豚や鶏は住めないかららしい。冬は主に羊を食べ、春秋は干し肉を、夏は乳製品を中心の食事で栄養バランスを図っているようだ。初春の芽吹いた草花を食べる山羊が一番のごちそうだとか。
モンゴルの放牧で特徴的なのが、羊と山羊の混合集団なのだ。元々別の集団を作って放牧されていたが、羊は草を根から引き抜いて食べ、根だけ口から吐き出す。吐き出されな根は枯れてしまう。ところが山羊はその根を穴を掘り再び埋める。すると翌年また草が生えるという習性を持つことに気付いたモンゴル人は二つの別々の動物を混合飼育することにしたのだという。また、山羊は知能指数が高く、角を持っているので外敵(狼やキツネ等)からの攻撃に対しても勇敢に戦う。従ってこの混合集団は強くなったという。
川がある。ウランバートルの東、嘗てチンギスハーンが生まれ育った地域から流れ出た川だそうだ。(写真:M34)
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彼らは水を大切にしている。しかし川の水は利用しない。川は動物たちが使うので、彼らは湧き水か泉の水と雨水を使うという。伝染病の問題もあるからだろう。
牧童たちは今は現代風なバイクに乗っている。(写真:M35)
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勿論、馬に乗るのが当たり前だ。犬も一緒だ。(写真:M36)
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「ゴビ砂漠」の北側の際の砂丘に来た。(写真:M37)
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(写真:M38)
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砂漠に本日我々が泊まるキャンプが見える。いくつかの白いゲルで出来ている。その向こう、左側に小さく見える三角の山は「大モンゴル山」でウランバートルが最初に築かれた場所だ。(写真:M54)
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さて、この国の輸出品は、第一が「地下資源」で石炭を主に輸出している。次が何と「カシミヤ」だ。山羊の毛から造られたものだ。
夕食は大型のゲルの中で食べた。久々にウォッカを頼んだ。500mlで25000トゥブルク。約1250円。(写真:M39)
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メインは「3種の餃子」だった。基本は餃子と同じで中身が全て肉だった。(写真:M40)
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「ゲル」の組み立て作業を見学した。木の板を組み合わせた壁を円形に並べる。(写真:M41)
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釘の代わりは動物の皮で出来たもの。(写真:M42)
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組み立て開始。
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(写真:M43)
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屋根部分にも木の棒を張り巡らせる。
周囲は羊の毛で造られたフェルトで覆われる。(写真:M45)
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(写真:M46)
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夕陽が地平線に落ちようとしている。(写真:M47)
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ほぼ出来上がった。(写真:M48)
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(写真:M49)
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ご苦労様でした。
夜、10時から星空観賞会を行った。一部に雲があったが、空は美しい星空。「宵の明星」金星だ。(写真:M50)
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東の空に「土星」。(写真:M51)
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「北斗七星」「北極星」「双子座」「カシオペア座」なども見えたが、写真には写らなかった。
夜明け前の午前3時にトイレに行ったが、夜空は本当に満天の星だった。星が直ぐ近くに見え、手が届きそうな位の近さだ。今回はカシオペア座もくっきりと見えた。北極星の周囲に明るい星がないのが特徴的だった。人生最高の星空、素晴らしかった。こんな星は初めてで感動でした。