「雑談、第9話」
「士魂、福澤諭吉の真実」(写真:本 士魂)
我が母校の創設者である「福澤諭吉」のその人の実態を研究したOBで元拓殖大学総長であった「渡辺利夫」氏の講演を聞いた。これまで一般的に考えられていた福澤像が実は随分と違っていたという点を強調されていたので、主な抜粋をお話ししよう。
福澤はご存知の通り今は一万円札の表紙を飾っている。そして「学問のすすめ」や「福翁自伝」の著者として有名であり、欧化主義者、文明開化論者としての側面が広く認知されているのだが、一方で江戸時代の士族社会の徳の体現者としての「西郷隆盛」を擁護し、「忠臣は二君に仕えず」ということを破り,幕臣から明治新政府の役人になり、二君に仕えた「勝海舟」と「榎本武揚」を激しく糾弾したという。
「学問のすすめ」という本は、実に340万部売れたというから凄い。当時の日本人の人口が約3500万人だったのだから、その売り上げ数の凄かったのが分かるというものだ。最初の文章は「天は人の上の人を造らず、人の下に人を造らずと云えり」でこれが有名だ。
福澤先生は、江戸時代の旧社会の門閥制度は廃止されてしかるべきだが、旧社会の道徳まで捨て去ってしまったのでは日本の立国は危ういと考えていた。また士風、士魂という「私情」を劣化させてしまえば、列強の暴力的なアジア進出に抗して日本が独立を全うすることは出来ないと考え、「立国は私なり、公に非ざるなり」と国家に対する私情、つまりナショナリズムこそが「立国の公道」と説いている。
著者の渡辺氏が言うには、振り返って今の日本に不足しているものはナショナリズムに他ならない。中国の「法の支配」を無視した挑発的な海洋進出、北朝鮮の核ミサイルによる恫喝、韓国の反日的センチメントの高まり、他方、日米同盟のパートナーであるアメリカの東アジア防衛の力と気概の驕りの中にあって、日本の独立のかまえはなお薄いと言わねばならないと説いている。
私は一番感じたのは、二君に仕えずとして、明治維新が一定の完成を見た後下野した西郷を高く評価し、幕臣から明治新政府の高級官僚となった勝と榎本を徹底的に批判していることだった。