「幕末、江戸に単身赴任した下級武士」

「J  REPORT 2017 4月第3週号」
「リタイアメント・ノート 8年10ヶ月目」
「VOL。998号 SINCE AUG.12th、1983」
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「江戸の庶民の生活は楽だったか?90」
「幕末、江戸に単身赴任した下級武士のお話し」
御三家、和歌山藩の下級武士が江戸に単身赴任中に書いた日記がある。その日記を元に江戸で暮す下級武士の暮らしを解説した本がある。「幕末単身赴任、下級武士の食日記」(青木直己著)より一部を抜粋してみよう。幕末の江戸での生活がよく分かる。江戸に来てこの人は賑わいが和歌山の3倍あると言っている。また愛宕山から眺めた江戸の広さと増上寺の巨大さにも驚いています。享保6年(1721)には江戸には約110万人の人がいたが、ロンドンは70万人、パリが50万人、北京が70万人であり、世界一だった。江戸の範囲も現在の23区よりも狭いので非常な人口密度だったといえる。徳川幕府の直属の家臣たちはお目見えの旗本が約5200人、お目見え以下の御家人が約17,000人、これに家来の数を合わせて俗に言う「旗本八万騎」なのだが、まだまだ数が足りない。それを埋めるのが大名の家臣たちで参勤交代で江戸に住む地方出身の人たちなのだ。大名の数は大体270家(時期により変動はあるのだが)でその家臣を含めて、江戸に住む武士たちは約52万人程度を思われる。武士は消費者であり、供給者の商人、農民、職人たちが江戸の武士たちを支えるために集まってきていた。また武家地は64%、寺社地が15%、残りの21%に50万人以上の一般市民が住んでいた。
江戸は世界で最も早く専門の料理店が現われたところと言われている。圧倒的に単身の男性の人口が多いので、外食、特にファーストフードが必要だった。そこで鮨や蕎麦、一膳飯屋、汁粉餅屋、或いは腰掛茶屋などが至る所にあった。その中で「屋台」は江戸を代表する食の供給者だった。蕎麦、天麩羅、握り鮨等がそれだ。握り鮨は文政年間(1818-30)に江戸で工夫され、玉子焼きや魚介類を握った酢飯の上に乗せたもので、鮨種の多くは江戸の「前」、江戸湾で採れた魚や貝類なので今でも江戸前と呼ばれている。種は鶏卵焼き、車海老、海老そぼろ、白魚、まぐろさしみ、こはだ、穴子甘煮等があり、刺身類には山葵も挟まれていたという。値段は一個4文から8文くらい、玉子焼きは16文だった。(1文は大体20円くらいで換算)
肉類についてですが、「薬食い」と称して、牛、豚、鹿、猪等は煮て食べていた。焼くという料理法という発想はなかった。幕末には肉は広く食べられるようになっていたようだ。そんな江戸で彼は基本は自炊していた。ご飯を炊き、簡単なおかずで質素に暮らしていたが、しばしば浅草や両国を訪れているし、寺院への参詣も多い。江戸は単身男性が多いことから遊び場も沢山あったようだが、彼は本当に質素にしているのが印象的だった。1年半で和歌山に帰った。江戸での外食として一番有名なのが「蕎麦」だ。彼もよく蕎麦を食べていた。万延元年(1860)には江戸府内には3,763店の蕎麦屋があったという。これには屋台の夜鷹蕎麦屋は含まれていなかったという。また外出先ではよく餅を食べていた。特に有名なのが「長命寺」の桜餅だ。寺で働いていた人が、桜の葉を塩漬けしてその葉で餡を入れた餅を包んだのが始まりだ。墨堤を彩る江戸名物で現在にまで続く山本屋だ。桜の葉は江戸時代には2枚、今は3枚で包んでいた。大島桜の葉を使用していた。文政7年(1824)の記録だが、一年間に使用した桜葉の数は775,000枚、餅一つに葉二枚だから、餅の数は387,500個、一日平均1、076個もの桜餅が売れたということだ。両国橋詰の小松屋が売り出した「幾世餅」も有名だった。吉原の女郎を妻に迎え、妻の源氏名を餅の名として売り出したのだが、夫婦そろって売ったので幾世観たさにお客が集まったということで、その後両国と浅草の店で元祖争いがあり、大岡裁きを受けたことが、後の名町奉行「根岸鎮衛(やすもり)」の「耳袋」に書かれている。当然彼も長命寺の桜餅は食べた。また彼の好物に「泥鰌鍋」があった。ドジョウ鍋を食べて土産に鰻を持ち帰ったとありました。それなりに倹約はしながらも江戸での生活を楽しんでいたのでしょう。

「桜散る」
東京は11日の冬に舞い戻ったと思われる寒さと雨と風で桜も散り始めた。一部葉桜になっている。(写真:葉桜)葉桜
豊洲公園の桜も散って地面に落ちていた。(写真:桜散る)桜散る
隅田川では観光船もほぼ満員で走っていた。やはり春なのだ。(写真:観光船)

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永代橋の袂では撮影が行われていた。(写真:ロケ?)
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なんなのだろうか?ロケ?どうも素人っぽかった。

「朝の月」
月齢16日の月が朝日の昇った南西の空に見えた。(写真:朝の月)朝の月
大分春らしい気候になってきた。