「骨という字」

「余談、骨という字」
写真は現地の看板だ。以前にも申し上げたのだが、彼の地の骨という字と我が地の骨という字は実は違っている。写真をよく観てもらいたい。(写真:骨という字)

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滑るという字の骨の部分だが、どこか違和感はないだろうか?上の部分の小さな口の位置が、中国は左側、日本は右側にある。彼我の差はなぜだろうか?実は中国で勉強して漢字を伝えた日本の僧侶が間違って覚えてきてしまい、それが今日まで続いているからだ。ところが、これが香港では一部日本の骨の字が使われているから不思議だ。
写真は昨年秋に訪れた香港で撮影したもの。(写真:香港の骨)
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香港では中国式と日本式の骨という字が両方使われているのだ。

「今週の映画と本」
「2017 私の映画鑑賞記録」
「ハクソー・リッジ」(TCスカラ座にて)私的批評眼★★★(今年105作品目)映画ハクソー
昭和20年5月の沖縄地上戦での一人の衛生兵の活躍を描く。実際にあったお話し。死体の残虐さが目立った。

「フィフティ シェーズ ダーカー」(TCみゆき座にて)私的批評眼★★★(今年106作品目)映画フィフティ
前作で分かれた二人が再び付き合い始める。兎に角エロティックな映画だ。セックスシーンの連続だ。

「私の2017年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
★★★★★=「彼らが本気で編むときは」「わたしは、ダニエル・ブレイク」「はじまりの旅」
★ ★★★=「ショコラ」「アイヒマンを追え」「マグミフィセント・セブン」「愚行録」「ラビング 愛という名前のふたり」「パッセンジャー」「しゃぼん玉」「ジャッキー」「ライオン 25年目のただいま」「グレイト・ウォール」「追憶」「マンチェスター・バイ・ザ・シー」「怪物はささやく」「ザ・ダンサー」

「2017 観劇シリーズ」
・ 6月大歌舞伎

「2017 旅の記憶シリーズ」
国内旅行は、2月の北海道(札幌、旭川)。
海外旅行は、1月のキプロス(66カ国)経由マルタ島(67カ国)。3月のタイ。5月のハワイ。そして6月に中国(西域とシルクロードの旅)。

「2017 本の記憶シリーズ」
「野分一過」(佐伯 泰英 著)文春文庫 私的批評眼★★★(今年120冊目)「酔いどれ小藤次決定版」シリーズ第13弾本のわけ

「日の名残り」(藤原 緋沙子 著)光文社文庫 私的批評眼★★★(今年121冊目)「隅田川御用帳」シリーズ第14弾本日のな残り

「朝の蜆」(岡本 さとる 著)幻冬舎文庫 私的批評眼★★★(今年121冊目)「居酒屋お夏」シリーズ第7弾本朝の蜆

「からくり成敗」(倉坂 鬼一郎 著)実業之日本社文庫 私的批評眼★★★(今年122冊目)「居酒屋お夏」シリーズ第7弾本からくり成敗

「敦煌から西安へ」

6月26日、第六日目
「敦煌から西安へ」
午前中は敦煌のハイライトでもある「爆高窟」観光だ。これぞ敦煌という遺跡で勿論世界遺産だ。但し洞窟内部の撮影は禁止だ。ここは西暦366年「楽尊」という僧侶が太陽の光を見て、この地で修行することを思い立ち、洞窟を掘ったことから始まったという。その後人々は仏教への帰依と極楽浄土への思いから、次々と洞窟を掘り、仏像を造り、壁画を描いたという。一種の宗教的生活をここで家族包み行っていたという。また有力者たちは自らの資金を投じて洞窟を造った。決して政治的な行為ではなかったという。まずは入り口の建物だ。独特の形をしたものだ。(写真:B24)

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中は大きなドーム型だ。(写真:B25)
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ここで2本の映画を見せられる。一つがこの地の歴史だ。当然中国側が正しいという歴史で、匈奴を打ち破り、この地を得てシルクロードが栄えたということだ。別な見方をすれば、遊牧民族の匈奴(これも蔑視した言い方だが)は勝手に進入してきた漢の人たちに追い出されたということだが。
もう一つは壁画の紹介だ。さてそれでは敦煌の内部に入ろう。今回は8つの洞窟に入るが、500近くある洞窟を見ることは出来ない。
門がある。記念写真に好都合なものだ。(写真:B26)
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有名な敦煌といえばこの建物だ。9層になっている。(写真:B27)
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NO98洞窟の表の絵。外側は撮影可だ。(写真:B28)
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洞窟が壁面に沢山開いている。(写真:B29)
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(写真:B30)
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釈迦の涅槃像が内部にはある。(写真:B31)
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表には絵があった。(写真:N32)
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(写真:B33)
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本来は木造の庇と廊下があったが今は一部しか残っていない。(写真:B34)
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こういった具合で見て廻るが、内部は確かに保存状態もよいものが多いが、細かい埃が凄くて参った。それにしても千年以上前からこうした仏教遺跡が造られてきたということは素晴らしいことだとひたすら感激感動した次第だ。
昼食の地元料理に「そう魚」という淡白な魚が出た。(写真:B35)
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他はいつもと同じ料理でした。
午後の飛行機で嘗ての漢の首都「長安」、今の「西安」に向かった。気温32度、暑い。
夕食は「火鍋」。(写真:B36)
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肉は牛と羊。(写真:B37)
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唐辛子のたれとゴマだれの二つのたれを造って食べた。〆の雑炊が一番美味かった。

「西安」

6月27日、第七日目
「西安」
峡西省西安、省の人口は3400万人、市内は900万人だから中都市だろう。元々この辺りは「周」の国があった。黄河の上流にあたる。周の意味は畑だそうだ。穀倉地帯、米でなく麦の産地だ。その後「春秋戦国時代」を経て「秦の始皇帝」が全国を統一したのがこの辺だ。秦とは馬の意味で春と秋の字を組み合わせたもの(上が春で下が秋)で、春秋戦国時代を終えたということから付けられた王朝の名前だそうだ。その後「漢」へと続く。残念ながら秦の王朝はたったの20年で途絶えた。始皇帝は13歳で即位し、29歳で全国統一し、50歳前後で死んだらしいが、即位直後から自分の墓を造り出した。これはあとの兵馬俑で見てみよう。
ここ長安には紀元804年、日本から「空海」が留学僧としてやって来る。因みに空海が創った歌が「いろは歌」だそうだ。「いろはにおえど、、、、」のいろは歌だ。
朝、街を歩いてみる。ホテルは東門近くだから、東大街を西へと歩く。やたらと警察車両が多い。(写真:C1)

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自転車は無料の貸し出しが行われているようだ。(写真:C2)
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バイクとスクーターは電動式以外は市内を走行出来ないとか。やはり乾燥しているが空気は埃っぽい。ここの電力は全て石炭火力だという。バイクを電動式にしているのに発電が石炭とは矛盾している。中心部の「BELL TOWER」(鐘突き堂)にまでやってきてホテルへ戻る。鐘楼(写真:C3)
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(写真:C4)
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地下鉄の建設が行われていた。中国の公共事業投資は本当に物凄いものだと、実感させられる。
この長安の街は城壁に囲まれている。この街を参考にして日本では平城京、平安京が造られたが、勿論規模はもっと小さい。城壁は東西約4km、南北約3kmの合計14km、壁の高さは約12m、そこの部分の厚みは15m、外側を焼きレンガ、中を土で、その土は外堀を掘った土だ。外堀(写真:C5)
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東西南北に主な門が4つある。「南門」は「朱雀門」になる。さてシルクロードの出発点である「西門」に向かう。市民が何か旗を持って踊っていた。(写真:C6)
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西門は立派な門だ。ここから西への旅に商隊が、あるいは軍隊が出発していったのだ。シルクロードの東の端だ。(写真:C7)
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(写真:C8)
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(写真:C9)
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全体模型(写真:C10)
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西門の城壁の上、北側を見る。10mほどの広さがある。(写真:C11)
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西門と東門には市場が立っていたという。そこから買い物のことを中国語では「買東西」(ばい・どん・しー)というそうだ。今ある城壁は約600年前の明の時代に修復されたものだ。ツバメが沢山飛んでいた。

兵馬俑に向かう。途中に火力発電所が見えた。(写真:C12)

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いよいよ兵馬俑だ。1974年に地元の「楊」さんが井戸を掘っていて偶然歴史的大発見をした。現在は1号坑、2号坑、3号坑の一部が発掘されているが、未調査部分も多い。4号坑はあるのは分かっているが全く手付かずだ。理由は掘り出してしまうと色の部分が変色してしまうため、変色を防ぐ技術が開発されるまでは、このままにしておくとのことだった。入り口の建物も以前見たものとは全く違う立派なものになっていた。(写真:C13)
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平日で見学者はほぼ3-4万人だそうだが、今年の5月1日にはなんと40万人が訪れたという。
1号坑(写真:C14)
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内部に入る。いつ見ても壮観だ。多数の兵士と馬がいる。1号坑は兵士たち、実働部隊だ。次の2号坑が護衛部隊で、先頭に弓矢の兵士がいる。3号坑は司令部で将軍など司令官がいる。1号坑より(写真:C15)
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馬と兵士(写真:C16)
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東に向かって立っている兵士たち(写真:C17)
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理由は秦という国が中国の一番西にあり、敵は皆東にいたからだという。始皇帝の死後を守るために東に向いていた。馬の尻尾を見ると皆結ばれている。これは馬は尻尾を結ばれるとおしっこをしないからだという。戦闘の最中に馬がおしっこをして止まってしまうと負けてしまうので、このようにしていた事実からだという。知らなかった。(写真:C18)
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多数の兵士が修理中だ。(写真:C19)
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ガラスのケースの中に馬車がある。天蓋には傘がある。4等立ての馬車だ。(写真:C20)
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(写真:C21)
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これがもっとも保存状態がよいものだ。弓矢部隊の兵士だ。(写真:C22)
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将軍だ。(写真:C23)
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彼の身長が198cm、普通の兵士の一番小さいのでも178cmとなっているが、当時の人の平均は160cmほどだったそうだから、実際より大きくして相手を威圧したのかも知れない。
兵士と馬車(写真:C244)
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兵士(写真:C25)
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馬車(写真:C26)
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馬車(写真:C27)
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馬車(写真:C28)
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これらの兵士たちが守っているのが、秦の始皇帝の墓だ。内部から掘り出した土を積んだ山がある。この地下に墓地がある空間があるらしいが、誰もみていない。(写真:C29)
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司馬遷によると地下には水銀が流れる川があるという。未来の人たちにその件は任せるそうだ。当然未発掘だ。

西安市内南側は大学が多くある地区だが、そこに「大雁塔」がある。1350年ほど前、三蔵法師がインドより持ち帰った仏典経典を守るために造られたもので、高さ60mある。しかし600年ほど前の大地震で上の部分が1.2ほど西へと傾いている。(写真:C30)

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話しは変わるが敦煌とウルムチや西安を結ぶ新幹線が7月1日に開通するという。ウルムチからも北京からも乗り換えなしで敦煌に来ることが出来るようになるらしい。
さて最後の晩餐は「餃子づくし」。17種類の餃子が出てきたが、水餃子以外は味が付いているのでそのまま食べるそうだ。最も小さい餃子(写真:C31)
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水餃子(写真:C32)
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変わったものだけご紹介しよう。白菜(写真:C33)
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アヒル(写真:C34)
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胡桃(写真:C35)
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焼き餃子(写真:C36)
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店では影絵で三蔵法師のインド行きの旅を見せていた。西遊記のお話しだ。
ホテルへの戻りに大量の自転車があった。実際に市民が足として使用しているものだ。勿論利用は無料だが、ちゃんと鍵が掛かっていて暗証番号で開錠出きる様だ。

6月28日、第八日目
帰国日だ。早朝6時にホテルを出る。大渋滞の市内を通過して、西安国際空港へ。(写真:西安空港)

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上海乗換えで成田へは午後8時過ぎに着く予定だ。でも本当に楽しい旅でツアーの仲間たち20名もいい人ばかりで話しにも花が咲き、和気藹々とした旅でした。

総括してみよう。やはり中国でした。道路での運転も歩行者も無茶くちゃ、早い者勝ちだというから信号無視は当たり前。民度はいつになれば国際水準になるのか?当分というか、絶対に無理だろう。あれだけ警察官がいても、全く取り締まらない。あれは警察官ではなくて監視官だ。心理的、政治的な圧力を掛けるために存在しているのだろう。まあ中国に生まれなくて良かった。服装や車やスマフォは国際的水準になっても、持っている心はまだ未熟社会だといえよう。

「クィーン オブ フィッシュ R25」

「手前勝手世界食物語、第454号」
「クィーン オブ フィッシュ R25」
この店も初めて訪れた店だ。地中海料理のようで魚が中心のメニューだった。ここも4名以上でないと食べ放題飲み放題は使えないとのこと。お勧めを聞くと「ブイヤベース」だというので、それを頼んだ。最初はお通しとして「蟹の足」@540円(写真:2-1)

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この足は食えない。やせ細っていた。仕方ないか。次はメインの「ブイヤベース」@2786円。色々の海鮮魚介類があり、出汁もよし、なかなかの美味しさ。(写真:2-2)
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500円均一のおつまみ類で「いわしのヴィネガー・マリネ」@540円(写真:2-3)
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もう一品、「サーモンのテリーヌ」@540円(写真:2-4)
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最後は締めで「リゾット」@540円(写真:2-5)
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但し、この店、問題は喫煙可という点だ。たまたまその日は喫煙者はいなかったが、いたら小さな店なので困ってしまっただろう。銀座5丁目の地下のひっそりとした店でしたが、大いに混み合っていました。
中国は西域から帰国した勢古口が東京よりお送りしました。