「西安」

6月27日、第七日目
「西安」
峡西省西安、省の人口は3400万人、市内は900万人だから中都市だろう。元々この辺りは「周」の国があった。黄河の上流にあたる。周の意味は畑だそうだ。穀倉地帯、米でなく麦の産地だ。その後「春秋戦国時代」を経て「秦の始皇帝」が全国を統一したのがこの辺だ。秦とは馬の意味で春と秋の字を組み合わせたもの(上が春で下が秋)で、春秋戦国時代を終えたということから付けられた王朝の名前だそうだ。その後「漢」へと続く。残念ながら秦の王朝はたったの20年で途絶えた。始皇帝は13歳で即位し、29歳で全国統一し、50歳前後で死んだらしいが、即位直後から自分の墓を造り出した。これはあとの兵馬俑で見てみよう。
ここ長安には紀元804年、日本から「空海」が留学僧としてやって来る。因みに空海が創った歌が「いろは歌」だそうだ。「いろはにおえど、、、、」のいろは歌だ。
朝、街を歩いてみる。ホテルは東門近くだから、東大街を西へと歩く。やたらと警察車両が多い。(写真:C1)

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自転車は無料の貸し出しが行われているようだ。(写真:C2)
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バイクとスクーターは電動式以外は市内を走行出来ないとか。やはり乾燥しているが空気は埃っぽい。ここの電力は全て石炭火力だという。バイクを電動式にしているのに発電が石炭とは矛盾している。中心部の「BELL TOWER」(鐘突き堂)にまでやってきてホテルへ戻る。鐘楼(写真:C3)
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(写真:C4)
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地下鉄の建設が行われていた。中国の公共事業投資は本当に物凄いものだと、実感させられる。
この長安の街は城壁に囲まれている。この街を参考にして日本では平城京、平安京が造られたが、勿論規模はもっと小さい。城壁は東西約4km、南北約3kmの合計14km、壁の高さは約12m、そこの部分の厚みは15m、外側を焼きレンガ、中を土で、その土は外堀を掘った土だ。外堀(写真:C5)
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東西南北に主な門が4つある。「南門」は「朱雀門」になる。さてシルクロードの出発点である「西門」に向かう。市民が何か旗を持って踊っていた。(写真:C6)
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西門は立派な門だ。ここから西への旅に商隊が、あるいは軍隊が出発していったのだ。シルクロードの東の端だ。(写真:C7)
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(写真:C8)
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(写真:C9)
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全体模型(写真:C10)
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西門の城壁の上、北側を見る。10mほどの広さがある。(写真:C11)
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西門と東門には市場が立っていたという。そこから買い物のことを中国語では「買東西」(ばい・どん・しー)というそうだ。今ある城壁は約600年前の明の時代に修復されたものだ。ツバメが沢山飛んでいた。

兵馬俑に向かう。途中に火力発電所が見えた。(写真:C12)

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いよいよ兵馬俑だ。1974年に地元の「楊」さんが井戸を掘っていて偶然歴史的大発見をした。現在は1号坑、2号坑、3号坑の一部が発掘されているが、未調査部分も多い。4号坑はあるのは分かっているが全く手付かずだ。理由は掘り出してしまうと色の部分が変色してしまうため、変色を防ぐ技術が開発されるまでは、このままにしておくとのことだった。入り口の建物も以前見たものとは全く違う立派なものになっていた。(写真:C13)
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平日で見学者はほぼ3-4万人だそうだが、今年の5月1日にはなんと40万人が訪れたという。
1号坑(写真:C14)
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内部に入る。いつ見ても壮観だ。多数の兵士と馬がいる。1号坑は兵士たち、実働部隊だ。次の2号坑が護衛部隊で、先頭に弓矢の兵士がいる。3号坑は司令部で将軍など司令官がいる。1号坑より(写真:C15)
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馬と兵士(写真:C16)
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東に向かって立っている兵士たち(写真:C17)
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理由は秦という国が中国の一番西にあり、敵は皆東にいたからだという。始皇帝の死後を守るために東に向いていた。馬の尻尾を見ると皆結ばれている。これは馬は尻尾を結ばれるとおしっこをしないからだという。戦闘の最中に馬がおしっこをして止まってしまうと負けてしまうので、このようにしていた事実からだという。知らなかった。(写真:C18)
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多数の兵士が修理中だ。(写真:C19)
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ガラスのケースの中に馬車がある。天蓋には傘がある。4等立ての馬車だ。(写真:C20)
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(写真:C21)
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これがもっとも保存状態がよいものだ。弓矢部隊の兵士だ。(写真:C22)
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将軍だ。(写真:C23)
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彼の身長が198cm、普通の兵士の一番小さいのでも178cmとなっているが、当時の人の平均は160cmほどだったそうだから、実際より大きくして相手を威圧したのかも知れない。
兵士と馬車(写真:C244)
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兵士(写真:C25)
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馬車(写真:C26)
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馬車(写真:C27)
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馬車(写真:C28)
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これらの兵士たちが守っているのが、秦の始皇帝の墓だ。内部から掘り出した土を積んだ山がある。この地下に墓地がある空間があるらしいが、誰もみていない。(写真:C29)
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司馬遷によると地下には水銀が流れる川があるという。未来の人たちにその件は任せるそうだ。当然未発掘だ。

西安市内南側は大学が多くある地区だが、そこに「大雁塔」がある。1350年ほど前、三蔵法師がインドより持ち帰った仏典経典を守るために造られたもので、高さ60mある。しかし600年ほど前の大地震で上の部分が1.2ほど西へと傾いている。(写真:C30)

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話しは変わるが敦煌とウルムチや西安を結ぶ新幹線が7月1日に開通するという。ウルムチからも北京からも乗り換えなしで敦煌に来ることが出来るようになるらしい。
さて最後の晩餐は「餃子づくし」。17種類の餃子が出てきたが、水餃子以外は味が付いているのでそのまま食べるそうだ。最も小さい餃子(写真:C31)
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水餃子(写真:C32)
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変わったものだけご紹介しよう。白菜(写真:C33)
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アヒル(写真:C34)
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胡桃(写真:C35)
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焼き餃子(写真:C36)
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店では影絵で三蔵法師のインド行きの旅を見せていた。西遊記のお話しだ。
ホテルへの戻りに大量の自転車があった。実際に市民が足として使用しているものだ。勿論利用は無料だが、ちゃんと鍵が掛かっていて暗証番号で開錠出きる様だ。

6月28日、第八日目
帰国日だ。早朝6時にホテルを出る。大渋滞の市内を通過して、西安国際空港へ。(写真:西安空港)

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上海乗換えで成田へは午後8時過ぎに着く予定だ。でも本当に楽しい旅でツアーの仲間たち20名もいい人ばかりで話しにも花が咲き、和気藹々とした旅でした。

総括してみよう。やはり中国でした。道路での運転も歩行者も無茶くちゃ、早い者勝ちだというから信号無視は当たり前。民度はいつになれば国際水準になるのか?当分というか、絶対に無理だろう。あれだけ警察官がいても、全く取り締まらない。あれは警察官ではなくて監視官だ。心理的、政治的な圧力を掛けるために存在しているのだろう。まあ中国に生まれなくて良かった。服装や車やスマフォは国際的水準になっても、持っている心はまだ未熟社会だといえよう。