「アメリカ西海岸の旅、ロスアンジェルス編」

「J  REPORT 2015 8月第3週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。912 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦62、アメリカ西海岸の旅、ロスアンジェルス編」
「ダイナソー」
8月6日(木曜日)
シアトルからロスアンゼルスに移動、これまた中学の同級生のK君のお迎えを受ける。早速彼の自宅へ向かう。途中スーパーで野菜を買い求めバーベキューの準備をする。ロスでも西海岸は日本車が本当に多いのに驚かされる。トヨタとホンダが圧倒している。スバルも元気だ。韓国勢もかなり多い。シアトルでは4WDのSUVが多かった。因みにT君の車はホンダ系の高級車アキュラのSUV(+4WD)だった。勿論雪が降るためだが。ロスは普通のセダンが多いようだ。聞くと年間に平均しても10日間位しか雨が降らないらしい。本当に乾燥した街だ。フリーウェイの最も中央車線のレーン(カープール・レーン)をすいすいと走る。二人乗り以上だとただで1人乗りだと料金が掛かるらしい。これはシアトルでも同じだった。アメリカで一番売れている車種は「ピックアップ・トラック」だという。広大なアメリカは田舎ばかりだから、荷物も人も乗せられるピックアップがいいらしい。さて、「ハッピーアワー」というのがあり、大体3時頃から5時頃までをそう呼び、この間の客は多少安く食べ物飲み物のサービスを受けられるという。所謂お得な時間帯の客寄せのようだ。4時近くになったので我々もK君の自宅でハッピーアワーと洒落た。彼の家はロスの北、パサディナの近くの小高い山の上にあった。景色が素晴らしい。バーベキューでステーキを焼き食べた。これまた美味しかった。
8月7日(金曜日)
朝から霧でもやっている。気温18度、ちょっとほっとする気温だ。東京に帰るのが恐ろしい。犬の散歩に付きあってから出発する。訪れたのはUSC(南カリフォルニア大学)近くの「LA自然史博物館」だ。入って直ぐにダイナソーの大きいのが2体あった。沢山の恐竜が飾られ、カリフォルニアの歴史も分かるようになっている。K君の話しによれば、カリフォルニアは長くスペイン領だったが、メキシコがスペインから独立してメキシコ領になり、その後20数年でアメリカに奪い取られて現在に至っているという。私の知識では確かテキサスかニューメキシコの「アラモ砦」でメキシコ軍により、砦に立て籠もっていたアメリカ人が皆殺しにされた。実はこれはアメリカ政府の罠で、これで一致団結して敵討ちとなり、アメリカはメキシコと戦うことが出来たという。これは太平洋戦争開始の真珠湾と全く同じ状況なのだ。「リメンバー パールハーバー」。アメリカは自国民を犠牲にしても、こういった罠を仕掛けるのか? さて昼近くになり気温は25度前後となったが湿度が低いので助かる。飲茶の店で簡単に昼食をして一度家に戻った。一つ発見した。ガソリンだがレギュラーよりディーゼルのほうがアメリカは高かった。大半がヨーロッパと違ってガソリン車なので多分需要が少ないディーゼルのほうがコスト高になっているのではなかろうか?

「HPの移行」
このHPは8月末で閉鎖になり、新しいHPになる予定です。詳しくは後日連絡しますが、その予定で移行手続きを進めていますので、宜しくお願い致します。

「シアトル・シーホークス・トレイニング・キャンプ」

8月5日(水曜日)
今日は「シアトル・シーホークス」の夏季練習見学だ。7時半前にホテルを出てキャンプ地に向かう。早過ぎたと思ったら、シアトルの南のレントンの街はファンで溢れ返っていた。8時に長い列に並ぶ。約45分で黄色いスクールバスに乗る。皆、駐車場に車を置いてバスでキャンプに向かうのだ。10時練習開始なのに、2時間前で一杯だ。スタンドと言っても、芝の植わったなだらかなスロープになっているだけ。そこに思い思い座る。120ヤードの芝生のグラウンドが2面、更に縦向きに1面の3面のグラウンドだ。ファンは皆選手のナンバーが入ったジャージを着ている。30分前にパンターが現われ自主的に練習を始めた。流石に素晴らしいキックだ。高く飛んで50ヤード強。全員が集まったのは5分前。全員ヘルメットにショルダーのみ、下は短パン姿だ。10分間隔でグループ毎の練習は目まぐるしく変わる。約100人ほどの選手でQBは赤いジャージを着た3名。勿論お目当てはスターターQBの背番号3番「ラッセル・ウイルソン」だ。彼のサイズは小さい。多分6フィートほどだろう。大型選手の中では小さく見えた。パスも正確だったが、ランも上手い選手だ。黒いジャージがオフェンス、白のジャージがディフェンス・チームだ。その他スタッフが20人ほどいただろうか。勿論ヘッドコーチもいて厳しくチェックしていたのと、ビデオカメラで3か所10mほどの高さから撮影していた。さてQBとレシーバーはパス練習、ディフェンスラインとラインバッカーはディフェンスのフォーメイション、ディフェンスバックはパスに対するカバーの確認をしつこくやっていた。それぞれポジション別の練習が終わるとスクリメージ練習だ。これはボールポジションを色々な状況に設定して実戦形式での練習だが、勿論タックルはなし。やはりスピードが違う。本当にラインもバックスも早い。身体の大きさに関係なく早い。これがプロだと思った。審判もこのミニゲームに参加していた。この約100名が徐々にカットされ、多分最終的には50名ほどが秋の公式戦に臨むのだろう。だから皆必死だった。好きな選手が活躍すると大きな声援が上がっていた。「ナイス」との声も次々と叫ばれていた。練習はまだまだ続いていたが、帰りのバスが混むと思い、1時間半ほどで引き揚げた。その後約2時間掛けて南の「マウント・レニエ」に向かう。周囲は森林ばかりだ。パラダイスという1600m地点で4300mのマウント・レニエを見上げる。成る程山は何本もの氷河に覆われていた。北米大陸最大の氷河らしい。シーホークスのトレイニング・キャンプも寒かったが、ここは更に寒い。晴れて美しい山頂も見えたが、兎に角寒い。半袖の私にはちょっと辛かった。これでシアトルの旅は殆ど終わる。夕方T君の家に呼ばれて奥様の手料理を頂く。ステーキを焼いて頂いた。超特大の椎茸も美味しかった。家の中は和風で飾られていたが、引っ越し直前なので荷物の山の中でかえってご迷惑を掛けてしまった。明日はロスに移動する。T君、奥様本当にお世話様になりました。

「スターバックス発祥の店」

シアトルと言えば、そうです「スターバックス」発祥の地です。その店に行って来ました。「パイク・マーケット・プレイス」という古くからある市場のところにあるのですが、店の前には大行列が出来ていた。凄い人気だ。写真だけ撮り、他の店でお茶をする。ここがスタバの第一号店だというが、本当に小さな店だ。人魚のマークがノーブラだったのが、本家本元の印だ。兎に角本当に混んでいてとてもではないが、入る気になりませんでした。日本からの高校生の修学旅行生も沢山いました。マーケットの中に魚を投げる店というのがあり、鮭を買ったお客に店の人が商品を投げ、見事キャッチできれば拍手喝采というのを目の当たりにした。鮭一匹50ドルでしたが、そのパフォーマンスには驚きました。飛距離約3mでした。みんな写真を撮っていた。勿論私も撮りました。その後、「シアトルセンター」にある「チフリ・ガーデン&グラス」というミュージアムに行った。ガラス工芸の不思議さとそのユニークさに驚かされた作品の数々でした。直径20cmほどの作品でも7000ドルから8000ドルしているのにまたまたびっくりでした。そして早めの夕食はシーフードレストランで私はサーモンを食べた。時間があったので別のボーイングのミュージアムに行き、外側から展示されている飛行機を観た。最初の747型機だとか、戦時中の戦闘機だとかが置かれていた。何でも初めての物が整然と置かれて展示されていた。帰りに通称「タコマ富士」現地名「マウント・レニエ」を観ることが出来た。4300mを越える頂上付近にはまだまだ雪が残っていた。これでも今年は雪不足で少ないという。生憎曇りで「オリンピック・マウンテン」は観えなかった。そうそう、T君の新居の建設現場を訪れた。あと一か月ほどで引っ越しするというが、3階建ての立派な家(エレヴェーター付き)で、勿論戸建てで神戸は芦屋の六六荘のような高級住宅街の一角に建てられていた。因みにシアトルは神戸市と姉妹都市関係にあるという。

「ボーイング・エベレット工場見学」

8月4日(火曜日)
朝、ホテルの周囲を散歩した。シアトルの街は斜めの道路が多くて歩いている内に地理感覚が失せてしまった。一応シアトルセンターのタワー(スペースニードル)がホテルから観えたから、それを目標にしてダウンタウンを歩き、さて戻ろうとしたが、中々ホテルに着かない。気温は14度で肌寒い。まあ何とかホテルにたどり着いた。今日はボーイングのエヴェレット工場見学ツアーだ。楽しみだ。11時のツアーだが、早めに着いたが、広大な敷地に出来上がって受け渡し直前の飛行機が沢山並んでいた。地元のフットボールチームの「シアトル・シーホークス」専用のジェット機がいた。尾翼の「12」の文字があるが、あれは選手11名の次はファンが12番目だという意味だという。所謂応援団が12番の背番号なのだそうだ。ビデオを観た後、バスに乗り工場へと向かう。まずボーイング747?8の製造工程だ。最終仕上げラインに大韓航空向けの747型機がいた。まだ747ジャンボジェットを造っているのにびっくり。その前に工場のまずは地下トンネルに入るのだが、これが延々と続くのに驚かされる。そこからエレベーターで3階に上がり、組み立て最終過程を観た。その大きさに仰天させられた。一番びっくりしたのは作業員の人たちの軽装なこと。キャップを被っていればまだしも何も被っていない人が大半だ。日本ならば厳重にヘルメットを被っているはず。驚きました。次が777型機の製造工場だ。ここでは毎分2インチ(約6cm強)で機体が動きながら組み立てを行っているという。月産10機の777型機がこの工場で製造されているという。747は47年間で1500機製造されたという。最後は最新鋭の787型機だ。大半が炭素繊維で造られ、軽量化され燃費が良く騒音が少ないというメリットのある機「ドリームライナー」だ。日本のメーカーもその製造のかなりの部分を請け負っていることは承知の通りだ。

「生牡蠣」

海岸のところにあるシーフードの店に行く。お目当ては生牡蠣。欧米人でも生牡蠣は皆食べる。ならば刺身も食べればよいのにと思うが、まあそこは習慣か?牡蠣を二人で24個頼む。その他、アラカルトで数品頼んで、私は白ワインをボトルで頼む。T君は勿論車を運転しているから飲まない。生牡蠣は海のミルクと言われる位、小粒だが濃厚で美味しい。海岸の脇で柔らかな日差しを浴びながら、ワインを飲み、牡蠣を食べる。こんな生活は得難い。目の前を観光船やフェリーが次々と通過する。シアトルの夏を満喫している私だ。酷暑の東京から涼しいシアトルに来て、身体自体がほっとしている。早めに今日はホテルにチェックインして部屋でこれを書いている。アメリカ人になってしまったT君、旅で訪れただけの私、共通するのは中学の同級生ということ。たった50人の中学のクラスの中で、医者が2人、弁護士が一人、海外移住組が3人、既に物故者が4人、その他海外生活経験者は多数、こんなクラスもあったのだと改めて認識させられた。

「シアトル編」

「J  REPORT 2015 8月第2週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。911 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦62、アメリカ西海岸の旅、シアトル編」
8月3日(月曜日)
午後3時45分にバスで成田に到着する。直ぐにチェックインして優先搭乗口からセキュリティを通過。ところが驚いたことにそこには大行列が待っていた。成田空港の構造は3階がセキュリティで2階がイミグレーションだ。2階からの行列が3階にまで押し寄せているのだ。こんなに混雑する成田は初めてだ。私は無人化ゲートで直ぐ空港内に入れたが、普通の人は一体いつになったら出国出来るのだろうか?あんな行列と混み具合は観たことがなかった。ANAラウンジでゆっくりしようと思ったら、意外に早く5時の搭乗時間になった。ワインを飲んでゲートに向かう。ビジネスクラスだからゆったりとしたシートで食事をしてワインを飲んで眠る。ボーイング777型機にトイレにはウォシュレットが付いていた。助かりました。時差16時間のシアトル到着。現地時間午前10時過ぎ。日本時間は火曜日の午前2時過ぎ。9時間のフライトでした。イミグレーションはNO1がアメリカ国民かグリーンカード保持者あるいはESTAで以前に入国したことのある人ということでNO1ゲートに行くと自動チェックイン機があり、言語を選び入力すると機械から印刷物が出る。それを持って更に係員のところへ行く。なぜ同じような手間を掛けるのかと疑問に思ったが、パスポートに判子を貰う。後ろを振り返ると機械の前にはこれまた長蛇の列が出来ていた。ビジネスクラスで早く機内から出たので助かった。荷物を引き取り、外に出る。友人の姿がなく探していたら、大きな声で名前を呼ばれ友人と出会うことが出来た。昨年秋の中学卒業50周年の会で会った友人だ。高校を卒業してシアトルに来て、ワシントン(州立)大学の機械工学を出て、更にLAで大学院を終えてから、またワシントン大に戻り博士号を取得後、ボーイング社にエンジニアとして37年務めたという。政府の仕事やNASAや軍関係の仕事をすることから、結局アメリカの市民権を取りアメリカに帰化したという。もう完全にアメリカ人だ。さて、空港から陸続きにタコマというところへ向かい、丁度シアトルの西になるのだが、そこから湾をフェリーで渡りシアトルへと旅した。気温は20度前後で非常に快適だ。彼T君は、夏はゴルフ、冬はスキーを楽しんでいるという。勿論ゴルフはシングル(注:ゴルフコースは自宅から2分だという)、スキーはインストラクターを指導する免許を持っていて指導に明け暮れているという。半年ゴルフ、半年スキーの生活だそうだ。シアトルは海と湖と山に囲まれた場所だが、夏は涼しいが冬はしとしと雨が多いのだそうだ。シアトルといえば確かに雨という印象が強い。船の前方にシアトルのダウンタウンが観えて来た。高層ビルが立ち並ぶ。ダウンタウンの南側に、シアトル・シーホークスのスタジアムとその隣にシアトル・マリナーズのドーム球場が観えて来た。ここシアトルは西海岸でも有数の港町でコンテナの集積地でもあるようだ。マイクロソフト、アマゾン、ボーイングや、その他IT企業も多く立地している都市だという。海軍の港でもあるという。航空母艦が停泊していた。確かマイクロソフトのビル・ゲイツ氏もここに住んでいたはずだ。

「黒埼枝豆」

「手前勝手世界食物語、第378号」
「黒埼枝豆」
新潟は新発田市に住む友人のO氏から枝豆を頂いた。毎年この時期になると送って頂いている。早速茹でてみる。まず荒塩を枝豆に揉みこむ。その後多目の湯に入れて4?5分茹でる。冷めたら出来上がり。この枝豆、貴重なものらしく、実に甘い。ちょっと固目に茹でたが、かみ締めると甘さがじわっと漂ってくる。これだとあっというまに食べきってしまう。食べ過ぎに注意しながら食べる必要あり。

「旅仲間から便りあり」
先日訪れたブルがアリア、ルーマニアの旅で知り合った3人組の女性たちのお一人から暑中見舞いを頂いた。旅で知り合って連絡があるのは、10人に一人位だろうか。お互いに住所を交換するわけではない。私は名前が珍しいのと名前を口で説明するのが難しいので、名刺を渡している。パソコンには字がないのだが実は私の勢古口の勢いは正しくは「生まれるの横に丸、下に力」と書く。そんなことで葉書が届いた。またいつかどこかの空の下で会うことがあるだろうか。
以上、勢古口が東京からお送りしました。来週はアメリカ旅行のため、次回更新は8月11日以降になります。

「うなぎ」

「うなぎ」
今年の夏は「土用の丑の日」が二度ある。高値の花だが、日本人は皆この時期「うなぎ」を食べる。銀座5丁目にある老舗のうなぎ屋「竹葉亭」は11時半の開店前には大行列が出来ている。元祖「竹葉亭」の店は大阪だ。ところが商標登録を忘れたので全国に竹葉亭が出来てしまい、本当の竹葉亭は霞んでしまったという。これは本当のお話し。大阪の人ならば殆どの人が知っているはずだ。先日ファーストフードの店で「うな牛」という丼を食べた。うなぎに誘われて食べたようなものだが、半分鰻丼、半分牛丼になっていて880円と中々の高値だった。味は?言わないほうがいいだろう。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?75」
「手術と縫合」
江戸時代、宝暦(1751?1764)以前から傷口を縫うということは行われていたらしいが、その昔、戦での怪我も薬を塗り包帯で縛るという方法しか切り傷を治すことが出来なかった。しかし、宝暦年間になり、日本でも縫合という手術、所謂外科手術が取られるようになったという。この時期から手術と言う概念も発達したのだろう。傷口を針と糸で縫うということに抵抗があった人も多かったろう。

「熊本城の守り」
「内枡形」とは城に攻めてきた敵が高麗門を突破してきて、誘い込まれるように左右どちらかに曲がらざるを得ないようにして次の門に攻め入る時、三方を城方に囲まれるような仕組みのことをいう。天下の名城「熊本城」にも沢山の内桝形の守りが取り入れられていた。加藤清正が造ったものだ。先日訪れた弘前城でも内桝形はあった。熊本城は皮肉にも戦いは明治維新後の内戦である西郷隆盛の「西南の役」で攻める西郷軍、守る政府軍の間で戦われたたった一戦のみだった。一方、弘前城は全く戦いの場になったことはなかった。

「アメリカの国立公園で今何が?」

「ねずみとみみず」
自宅近くで突然「ねずみ」が道路脇を歩いていた。体調20cm位の結構大きなねずみで色は勿論ねずみ色、尻尾が長い。恐らくこれも20cmほどか。ところがこのねずみ、動きがやたらと遅い。所謂のたのた歩いているのだ。普通ねずみは敏捷に走り去るのだが、のろのろねずみはまるで熱中症にでもかかったようなねずみなのだ。どうしたのか?まあ、ほっておこう。この時期、毎度のことながら「みみず」が路上で死んでいる。なぜなのだろうか?梅雨が明けるとみみずたちは熱せられた熱い道路に現われ、そこで死んでしまう。地中にいれば涼しくてよかったのに、なぜだろう。毎年疑問に思う出来事でした。

「アメリカの国立公園で今何が?」
NHKラジオで今アメリカの国立公園の多くが、水のペットボトル持込禁止になっているという話しがあった。ペットボトルの変わりに水筒持参で給水器は置いてあるという。水は自販機も撤去されているという。但し普通の清涼飲料の自販機はあるという。なぜなのか?それは余りにも多くのペットボトルが公園内に捨てられてしまい、撤去に巨額の金が掛かるからだという。だからペットボトル禁止になったというが、何か富士山のゴミ処理を思い出してしまう。暑い夏、熱中病で倒れる人が出るのではなかろうかと心配している。数年前にアメリカ西部の国立公園15箇所を巡る旅を体験した。イエローストーンから最後はヨセミテまで目まぐるしく廻ったが、素晴らしい自然だった。水はやはり必要だろう。

「有楽町マリオンの時計」

「有楽町マリオンの時計」
午後6時、マリオンの時計の仕掛けが動き出した。もう見慣れてしまったが、このビルが出来た同時は大人気だった。さて午後6時なのにこの暑さはなんなのか?まだ付近の気温は32度を示している。東京はじめ東日本は酷暑に襲われている。いつまで続くのやら。

映画「人生スイッチ」(ヒューマントラストシネマ有楽町にて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★★★(今年120作目)
ブラック・ジョークの短編が6編あるアルゼンチンの映画だ。兎に角ありうる話しばかりだが、最後はブラック・ジョークとなる。面白い。笑えるが、恐ろしい。

映画「ミニオンズ」(TCみゆき座にて)私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年121作目)
小さな可愛いミニオンズがイギリスへ旅する。アニメなので親子連れが多かった。

日経新聞7月31日夕刊の「シネマ万華鏡」の評価によれば、「ジェラシック・パーク」が4つ星、「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」が2つ星、「セバスチャン・サルガド」が3つ星、「ラブ&マーシー」が4つ星、「ベルファスト71」が4つ星、「ソ満国境 15歳の夏」が3つ星、「波伝谷に生きる人びと」が4つ星でした。

「私の去年2015年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!!
今年の★★★★★は、「ドラフト・デイ」「アメリカン・スナイパー」「博士と彼女のセオリー」「中島みゆき」「セッション」「ビリギャル」「あん」「人生スイッチ」
今年の★★★★は、「ゴーン・ガール」「トラッシュ」「スパイ・レジェンド」「アゲイン、28年目の甲子園」「おみおくりの作法」「ビッグ・アイズ」「KANO」「深夜食堂」「シェフ」「パリよ、永遠に」「ソロモンの偽証」「くちびるに歌を」「イミテーション・ゲーム」「バードマン」「ギリシャに消えた嘘」「龍三と七人の子分たち」「駆け込み女と駆け出し男」「靴職人と魔法のミシン」「海街ダイアリー」「マッドマックス、怒りのデスロード」「愛を積むひと」「アリスのままで」「雪の轍」「悪党に粛清を」「チャイルド44」「アベンジャーズ」「バケモノの子」

「2015 旅の記憶シリーズ」
2015年の国内旅行は、1月に福岡(博多)、大分(中津)、佐賀(武雄温泉)、岐阜(白川郷、)、富山(五箇山、氷見、高岡)、新潟(越後湯沢)、3月は長野(長野)、千葉(銚子)、5月は福岡(博多)、熊本(熊本)、佐賀(武雄温泉)、6月は不老不死温泉(青森)、弘前城(青森)、釜石(岩手)を訪れました。

2015年の海外旅行は、2月のアメリカ(ハワイ)、3月のウズベキスタン(61カ国目)、4月のメキシコ(62カ国目)、5月は2度目のバルカン半島(アルメニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニアヘルツゴビナ、スロベキア)、7月はブルガリア(63カ国目)ルーマニア(64カ国目)でした。

「2015年 歌舞伎観劇シリーズ」第1回目=2月大歌舞伎(歌舞伎座)、第2回目=4月大歌舞伎(歌舞伎座)

「2015 本の記憶シリーズ」
「意次ノ妄」(佐伯 泰英 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年168冊目)「居眠り磐音江戸双紙」シリーズ第49弾

「柳眉の角」(上田 秀人 著)光文社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年169冊目)「御広敷要人大奥記録」シリーズ第8弾

「夏おにぎり」(和田 はつ子 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年170冊目)「料理人季蔵捕物控」新シリーズ第1弾

「クローズアップ」(今野 敏 著)集英社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年171冊目)

「借金道場」(千野 隆司 著)双葉文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年172冊目)「雇われ師範。豊之助」新シリーズ第1弾

「師弟」(岡本 さとる 著)ハルキ文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年173冊目)「新剣客太平記」新シリーズ第2弾

「待ち人来るか」(風野 真知雄 著)祥伝社文庫 私的批評眼(J’CRITICAL EYE)★★★(今年173冊目)「占い同心 鬼堂民斉」新シリーズ第3弾