「うなぎ」
今年の夏は「土用の丑の日」が二度ある。高値の花だが、日本人は皆この時期「うなぎ」を食べる。銀座5丁目にある老舗のうなぎ屋「竹葉亭」は11時半の開店前には大行列が出来ている。元祖「竹葉亭」の店は大阪だ。ところが商標登録を忘れたので全国に竹葉亭が出来てしまい、本当の竹葉亭は霞んでしまったという。これは本当のお話し。大阪の人ならば殆どの人が知っているはずだ。先日ファーストフードの店で「うな牛」という丼を食べた。うなぎに誘われて食べたようなものだが、半分鰻丼、半分牛丼になっていて880円と中々の高値だった。味は?言わないほうがいいだろう。
「江戸の庶民の生活は楽だったか?75」
「手術と縫合」
江戸時代、宝暦(1751?1764)以前から傷口を縫うということは行われていたらしいが、その昔、戦での怪我も薬を塗り包帯で縛るという方法しか切り傷を治すことが出来なかった。しかし、宝暦年間になり、日本でも縫合という手術、所謂外科手術が取られるようになったという。この時期から手術と言う概念も発達したのだろう。傷口を針と糸で縫うということに抵抗があった人も多かったろう。
「熊本城の守り」
「内枡形」とは城に攻めてきた敵が高麗門を突破してきて、誘い込まれるように左右どちらかに曲がらざるを得ないようにして次の門に攻め入る時、三方を城方に囲まれるような仕組みのことをいう。天下の名城「熊本城」にも沢山の内桝形の守りが取り入れられていた。加藤清正が造ったものだ。先日訪れた弘前城でも内桝形はあった。熊本城は皮肉にも戦いは明治維新後の内戦である西郷隆盛の「西南の役」で攻める西郷軍、守る政府軍の間で戦われたたった一戦のみだった。一方、弘前城は全く戦いの場になったことはなかった。