「唐津城」

「唐津城」
二日目も今期最低気温だという。レンタカーでまずは博多湾の「防塁」を訪れる予定だったが、兎に角凄い雨と風なので、中止にして一路唐津へと向った。しかし、城は補強工事中ということで場内には入れなかった。(写真:唐津城21)

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スーさん、サワサン(写真:22)
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城は40m近い山の上にあるので、眺めはよい。「虹の松原」は雨に煙っていた。(写真:虹の松原23)
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この唐津は最初は秀吉子飼いの寺沢氏が入って来たが、徳川幕府の時代は譜代大名が入り、九州の外様大名への押さえとしての役割を果たしていた。

「唐津くんち曳山」
一昨年、偶然に博多にいた時に当日「唐津くんち」があることを知り訪れたが、今回は「曳山展示場」で動かない現物を観た。この祭りもユネスコの「無形文化遺産」に登録されたものだ。元々「唐津神社」の例大祭だったという。1番から14番まである曳山だが、1番曳山のみご覧に頂く。(写真:1番曳山24)

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刀町の「赤獅子」と呼ばれるものだ。中々勇壮な祭りで曳山をかなりのスピードで引き回す。上下にも動くので祭りでは町中の人たちが出てきて盛り上げていた。昔の絵にも盛んな祭りが描かれていた。(写真:くんち絵25)
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「くんち」「おくんち」の意味は神様にお供えをするということらしい。

「肥前名護屋城址」
420年前、秀吉の号令の下、全国から集まった大名は120を超えていたという。いかにも秀吉の権力を象徴している出来事だった。そこが「文禄、慶長の役」で朝鮮派遣軍の拠点となった「名護屋城」だ。この城は黒田勘兵衛が設計(城割り)し、たった5ヶ月で完成させたという。その規模は大坂城に次ぐものだったというから大きさが分かろうというもの。数百人の漁村が何と30万人の大都市となったというから驚きだ。多分、当時では日本一の規模の町だったと想像される。名護屋城を中心にして3kmの円の中に陣屋が出来た。城は区割りされて、それぞれの区割りを大名に割り当てて建設が行われた。石垣の石は現地調達された。この写真は通路の右と左とで石垣の模様が違うのが分かる。(写真:石垣26)

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担当した大名により積み方というか石の加工の方法が違っていた。そして5ヶ月で完成した城の周りに大名の陣屋が築かれた。徳川家康も1万5千人の兵を連れて参じている。その陣屋跡が目の前の小高い山だったという。(写真:家康陣屋跡27)
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家康の陣屋は二つに分かれていて、家康は名護屋城側の陣屋に、部下は入り江の向こう側の陣屋にいたという。これも秀吉の家康警戒感から来たものなのだろうか?この名護屋城、問題は水の確保にあったらしい。近くには遊郭も出来たらしい。さて朝鮮での戦いは最初はあっという間に日本軍が勝ち進むが、進みすぎて兵站が伸び過ぎ、中国朝鮮連合軍と講和して撤退した。その後再度の戦いを起こしたが、秀吉の死で撤退するまで7年間この地に城はあった。家康の時代になり、この城は破壊された。石垣は角の部分が徹底的に破壊された。(写真:石垣の破壊28)
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そして「島原の乱」で反乱軍の残党が籠もると困るということで、再度破壊された。城址の一番高いところに「天守閣」の跡があった。(写真:天守閣跡29)
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寒い。強風が吹き荒れている。本当に寒い。秀吉は側室二人を連れてきていて、能舞台も造り、また人口の池を造り、船遊びをしたという。延べ1年数か月、秀吉はこの城で暮らした。この場所は玄界灘に面しているものの、沖近くに島があり、非常によい船溜まりが沢山あるので船の集結によい場所だったらしい。(写真:玄界灘30)
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秀吉が造った城で現存する唯一の石垣が名護屋城址だというから貴重なものだ。今回も一人100円で現地のボランティア・ガイドさんをお願いしたが、寒風吹き荒ぶなか、大変興味深いお話しで勉強させられた。ここから見えるのは玄界灘に面した「玄海原発」。今は休止しているが来年8月には再稼動するという。町の人10名ほどが「原発のゴミ処理場」を誘致する運動を起こしているというから世の中分からない。(写真:玄海原発31)
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そろそろお腹も空いたので呼子の町へ向う。ガイドさんお薦めの「河太郎」という店に行くが、やはり烏賊は揚がっていないという。店主に教えてもらった名護屋にある「大和」という店(河太郎の暖簾分け)に行くと何とか烏賊が確保されていた。烏賊刺しが出てきた。「あおり烏賊」だという。透明な身が美しい。まだ生きている。(写真:あおり烏賊32)
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(写真:あおり烏賊33)
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烏賊シュウマイが出てきた。(写真:シュウマイ34)
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烏賊のゲソを生で食べると吸盤が口の中で吸い付いてくる。そのゲソは天麩羅で食べた。(写真:ゲソ天麩羅35)
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暖かい天麩羅はやはり美味しい。烏賊1杯を3人で食べたが、充分満足だった。海が荒れていて漁に出られないために烏賊は獲れていないというので今回は烏賊は一回しか食べられなかった。