「天皇と朝廷」

「天皇陛下、生前退位のご意向」
突然の報道に驚かされた。以前から天皇の問題については、3S会のスーさんと激論を交わしてきた。私は日本人は全て天皇陛下の臣であるといい、スーさんは違うといい、まあ結論的にはスーさんもほぼ私の意見に賛同して頂いた。日本人にとって天皇という存在は非常にある意味難しい問題なのだろう。でも日本には天皇は絶対必要だと私は今でも思っている。そこで江戸時代の天皇と幕府との関係はどうだったか、考えて見た。

「朝廷=天皇と幕府」
朝廷は名分であると言える。正確には朝廷ではなく天皇なのだが、義を正にするか、偽りにするかは、勅のあるなしで決った。即ち天皇を押さえた者が天下を取った。織田信長も豊臣秀吉も徳川家康も天皇を手中にして天下の主たろうとした。徳川が代々幕府を開けるのも、天皇の委託があるからであった。つまり、天皇を奪われたら幕府は崩壊してしまう。即ち「朝敵」となってしまう。幕末の事態は正にそれであった。幕府は朝廷に山城国のうちから三万石を給した。これには天皇、皇子、内親王の生活費だけでなく、祭祀の費用、朝儀の開催、御所の維持、女御などの奉公人の給与などが含まれていた。年貢の収入は四公六民で実質凡そ1万両程度だった。公家衆には朝廷への三万石とは別に禄が支給された。五摂家筆頭の近衛家の禄は摂津国伊丹村などで、2852石、九条家が山城国紀伊郡東九条村で2043石など、百家あまりの公家に合計46,600石が出されていたという。だから、朝廷も公家衆も皆貧乏していたのだ。これは幕府が朝廷から余裕を奪い、侍(禁裏侍)などを養わせないためだった。下級の公家では30-50石と御家人の最下層程度しかなかったという。
嘗ては天皇を政治的に利用して政権を取るといったことが実際に行われたことから、戦後憲法では象徴という曖昧な形になったのだと思う。それで本来の通り、天皇は政治に参画せずということが正しいことだと思う。それでも日本人で天皇制を否定する人たちは少ないと思う。これほど激務で、私がなく、自由がない天皇ほど大変な職業はないと思う。