「J REPORT 2015 12月第4週」
「リタイアメント・ノート 7年6ヶ月目」、
「VOL。929 SINCE AUG.12th、1983」
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「宝くじ」
日本で一番高額な配当が当たると有名な宝くじ売り場は勿論東京は銀座、数寄屋橋交差点にある「西銀座チャンスセンター」だということがご存知だろう。未だ未だ長い列が連日続いている。今年の列は異常だ。3時間待ち4時間待ちはザラだと言う。目指すは10億円、1等7億円、前後賞1.5億円と凄い額だ。江戸時代にも「富籤」としてお寺や神社でお上の許可を得て販売されていた。その当時の1等は1000両だったというから、約1億円に相当する。それからみてもこの10億円は凄い高額だ。正にこれは「夢」だ。初夢期待の行列も22日でお終いだ。(写真:宝くじを買う人たちの列)
夜も6時を過ぎたので、宝くじを買う人の列もなくなった。(写真:有楽町マリオン前)
「東急プラザ」
西銀座チャンスセンターの反対側に建設中のビルがある。元は「東芝銀座ビル」だったが、東急不動産が再開発した「東急プラザ」だ。建設の完成は来年1月末で、商業施設が入ってのビルのオープンは3月末だという。銀座の変貌はまだまだ続く。(写真:完成真近の東急プラザ)
(写真:東急プラザの夜景)
「左側通行」
世界中で左側通行の国と右側通行の国がある。日本はと言えば、江戸時代から左側通行だったという。1775年に来日したスェーデン人医師の「ツュベリー」が書いた「江戸参府随行記」には「こんなに気持ちよく旅行出来た国はオランダ以外にはなかった。この国の道路は一年中良好な状態にあり、広く且つ排水用の溝を備えている。対向者と擦違う際の配慮として左側通行の慣習が定着していた。」と記されているという。嘗て英国の植民地だった所は基本的に左側通行だが、ヨーロッパやアメリカ、アジアでも中国などは右側通行だ。江戸時代、武士は大小の刀を左腰に差した。従って道で武士同士が擦違う場合、所謂「鞘当」を避けるためにはお互いが道の左側の歩くことで解決出来た。この風習が定着していたものと思われる。騎士道は英国でも欧州でもあったのだが、英国は左側、欧州は右側になったのがどうしてなのか分からない。エスカレーターの乗り方も日本は若干不思議だ。関西は右側に立ち、関東を含めてほぼ全国は左側に立つのが習慣的になっている。世界各国はどうなのだろうか?ロンドンでもパリでもニューヨークでも地下鉄等に乗ったが、エスカレーターはどうだったか忘れてしまった。伝統的な立ち方歩き方から考えれば東京式が正しい日本流の立ち方なんだろう。(写真)帝国ホテル前の道路)
「交通事故」
豊洲には日本で最初にてオープンした「セブンイレブン」がある。「セブンイレブン1号店」だ。その店の前の交差点、片側3車線、中央分離帯がある比較的大きな交差点だ。歩車分離のスクランブル交差点でのことだった。私はバスに乗車していてバスは真ん中の車線に停止していた。見ていると若い女性が既に信号は赤になっているのにまだ中央分離帯を歩いている。それも堂々と歩いている。車道の信号が赤になり中央寄りの車線のダンプカーが動き出したが、その前をまるで信号機を無視して歩く女性。ダンプの動きにつられて、ダンプカーと私の乗るバスの間から一台のバイクが飛び出していった。当然ながら歩行者の女性と衝突した。あっという間の出来事だった。勿論悪いのは信号無視して歩いていた女性だが、バイクは女性を撥ねた後、転倒してしまった。バイクの前方不注意ということになるのでは余りにも可哀相な事故だった。信号無視は止めよう。そう言っているうちに猛スピードの自転車が信号無視して歩行者の列に突入していった。恐ろしい自転車でした。