「日曜日の歴史学」

「日曜日の歴史学」(山本博文著、新潮文庫)
著者は東京大学教授で、NHKラジオ「ラジオ深夜便」で「江戸の歴史」を語っている人だが、ラジオも面白いが、今回の文庫本も歴史に興味のある方には是非お薦めしたい本だ。その中から幾つかをご紹介しよう。(写真:文庫本)

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1:身近な問題として「老後の健康―貝原益軒」の項では、江戸時代の本草学者として名高い貝原益軒が唱えた「三つの薬」とは、人間の老後の楽しみとして、正しい行動をして善を楽しむこと、病なくして快く楽しむこと、命長くして久しく楽しむことの3点をあげている。いくら富貴であっても、この三つの楽がなければ真の楽を得ることは出来ない。【これは正に正鵠を得ていますね】
2:「鎖国という言葉」についてだが、寛政・享和(1789-1804)頃に長崎通詞だった「志筑忠雄(しづただお)」が使ったのが初めだという。それまで鎖国と言う観念はあったが、言葉として最初に使われたのは彼が用いたことによるという。江戸時代、日本は隣国の朝鮮とだけ正式な外交関係を結んでいた。当時琉球は薩摩藩に占領され、幕府からは薩摩藩の一部と見做されていたし、オランダ人や中国人はただ単なる通商関係であり、国家間の外交関係はなかったし、アイヌ民族も松前藩との交易を行っているだけだったというのです。ですから江戸時代実質的には幕府は4つの窓口を持っていたので決して鎖国をしていた訳ではないという人もいるそうです。その4つとは「朝鮮、琉球」を「通信の国」、「オランダ、中国」を「通商の国」と見ることが出来るというのです。三代家光の時に事実上の鎖国体制にした訳ですが、これはキリスト教禁止令が目的で通商をしないということではなく、布教にくる宣教師を国内に入れないためであり、日本人を海外に出させない、また帰国させないということでした。
3:「羽柴武蔵大納言」と言う名前は誰の名前でしょうか?これは「徳川家康」に「豊臣秀吉」から与えた名前です。これは秀吉に提出された「起請文」で家康が署名した時の名前です。後の徳川時代になり秀吉から与えられたということでは都合が悪いのでどうも破棄されたようですが、一部のみが秀吉の正室「ねね」の実家である木下家に実存しているそうです。【歴史は後世の権力者により書き換えられる典型的な例のようです】
4:「桜田門の変」ですが、大老が襲撃され殺害されるという大事件ですから、「評定所」では「五手掛」といって、寺社、町、勘定の三奉行と大目付、目付が担当して審議しました。自首した犯人達は皆大老の首を取ったと認めたのですが、彦根藩は藩の面子があるので主君は傷付けられただけで首は取られていないと主張しました。【不思議なお話しですね】
5:「年号から江戸時代を大きく掴む」では、「寛永」は1623年から始まり21年続きますが、これがほぼ三代「家光」の治世に一致します。幕府の基礎が出来上がった時代です。注目すべきは、後世「鎖国令」(寛政10年)と呼ばれる施策が取られたことと、「島原の乱」(寛政14年)が起きたことでしょうか。
次に「元禄」ですが、繁栄の時代の象徴として使われる「元禄時代」です。将軍は五代「綱吉」(1650年から30年間将軍職にあった)です。戦国の風潮が未だ残る時代背景に綱紀粛正を唱えたのが綱吉です。その一つが「生類哀れみの令」です。「忠臣蔵」の発端となった赤穂事件もこの時代です。
次が「享保」(元年は1716年)です。八代「吉宗」が幕府の役職制度を大改革した時代で徳川幕府中興の祖といえます。有名な人では南町奉行に抜擢された「大岡越前守」でしょうか。人材登用でも慧眼を発揮したのが吉宗だったようです。
次の「安永・天明」時代は「田沼時代」ともいえる「賄賂政治」の時代でした。この時代は賄賂も盛んでしたが、社会には活力が満ち溢れていたといいます。ですが、天災の時代でもありました。天明3年(1783年)には「浅間山大噴火」が起き、不作が続いて「天明の大飢饉」も起きます。一方で規制緩和の時代でもあり、寺社の開帳が盛んに行われたのも特徴の一つです。岡場所も復活したり、庶民に三味線が流行ったのもこの時代だったようです。

最後が「文化・文政」の時代です。19世紀初頭の1804年から1829年までの26年間で、将軍は十一代「家斉(いえなり)」の長期政権下でした。家斉の前半は松平定信が老中で「寛政の改革」を実施した時代で、後半が「文化・文政」となります。寛政の改革下には禁止されていた江戸の祭りが解禁となり、庶民にも贅沢な風潮が出てきた時代です。特徴的には深川八幡の祭礼に庶民が殺到し隅田川に架かる「永代橋」が人の重みに耐えかねて崩落し死者数百人を出したことです。諸外国の船が日本周辺に現われた時代でもあります。また洋学が発達し、医師シーボルトもこの時代の人です。庶民が本を読むようになったのもここの時代からと言われています。歌舞伎や浮世絵も最盛期を迎えます。
まだまだあるのですが、面白いのでぜひ本をお読みください。歴史好きには絶対にお薦めです。