「J REPORT 2015 9月第4週」
「リタイアメント・ノート 7年2ヶ月目」、
「VOL。916 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦63、アメリカ南部の旅、最終日」
「ヒューストン」
第6日目
9月9日(水曜日)
実質的な最終日だ。朝7時出発でヒューストンに向かう。ニューオーリンズ郊外は湿地帯で木々の間に湖が観える。(写真 lake)
午後2時に漸くヒューストンの「NASA」の基地に着く。(写真 入口の看板)
広い敷地内を巡る「トラム・ツアー」に向かう。まずはこの「ジョンソン宇宙センター」の心臓部分である「管制塔」見学だ。1961年当時のケネデイー大統領が1960年代の内に月に人類を送りこむと約束して始まったNASAのプロジェクトだ。ここから指令が出され、宇宙船「アポロ」との交信がなされた場所だ。今は既に使われていない。見学者向けのものになっている。(写真 control room)
別棟に行く。ここは長さが100mもある巨大な建物で現在宇宙にある「ISS」(国際宇宙ステーション)と同じものがあった。ここで色々なテストや新しい開発を行っているという。日本が造った研究施設の「希望」もあった。(写真 ISS希望)
現在開発中なのは2030年に火星探査を目指す有人宇宙船「ORION」(日本語名オリオン)だという。そのカプセルもあった。何と片道火星まで68ヵ月掛かるという。往復で12年も掛かるプロジェクトだそうだ。それもヒューストンからパリまでを17分で結ぶ速さで飛んでのことだという。気が遠くなるようなプロジェクトだ。(写真 orion)
ドッキングの際に使ったりする巨大な「カナディアン・アーム」があった。これはISSにドッキングしようとする宇宙船をキャッチしたりするためのものだという。日本人宇宙飛行士の若田氏が操っていたものだ。(写真 arm)
最後に訪れた施設が「アポロ計画」最後のミッション用の「サターン・ロケット」の現物だ。このロケット一基で当時のお金で45億ドルも掛かったという。1970年代アメリカはベトナム戦争での巨額な出費もあり、このロケットが一基で国家予算の0.5%も掛かることからアポロ計画は中止となり、18号は発射されることはなくなり、今は展示保存されているというのだ。(写真 rocket)
その後は「スペース・シャトル」に引き継がれる。当初は何度も使用できるシャトルで経費節減が期待されたが、実際には修理代が膨大になったり、事故が起きたことから、シャトルも中止となり「国際宇宙ステーション(ISS)」でのミッションになったという。さて、展示室では「月の石」が多数展示されていた。石だけでなく砂もあったし、実際に石に触れることも出来るようになっていた。(写真 moon stone)
宇宙ステーションの内部も観ることが出来るようになっていて、宇宙飛行士の生活の一端を垣間見ることが出来る。宇宙では無重力のため、まず1週間で筋力が20%低下し、骨密度があっという間に落ちるという。その為に毎日数時間のトレーニングが必要だが、それでも地上に戻ると歩けないという。シャワールームは筒状の中に身体を入れ、密封された中で強制的にシャワーを浴び、身体を衛生的にするという。トイレなども大変な作業のようだ。寝るのもこれまた大変みたいだった。血液を含む体液が頭に行ってしまい、低圧の部屋で調整しないと駄目だという。宇宙での生活は決して快適とは言えなさそうだった。12年も掛けて火星往復をする時、人は船内で何をしているのだろうか? 疑問が湧く。果たして耐えられるのだろうか? (写真 宇宙船内部)
十分堪能した「ジョンソン宇宙基地」のトラム・ツアーだった。因みに「ジョンソン」とはケネディー大統領暗殺時の副大統領で大統領になった人だが、彼がテキサス州出身でこの宇宙基地招聘に絶大な功績があったということでその名が付けられたという。この基地では1万8千人もの人が働いているというから凄いものだ。基地の中に「ボーイング747」があった。実際にスペース・シャトルを運んでいた本物の機体だ。上に乗っているシャトルは模型だが、当時の姿を思い浮かべることが出来る。(写真 ボーイング747)
基地内には20数名の宇宙開発で犠牲になった人たちの碑があり、それぞれに一本づつ木が植えられている。そこで観光客も黙とうし、英雄たちの冥福を祈る。隣に牧場があり、テキサス特有の牛が飼育されていた。角が横に広く長く伸びているのが特徴だ。将来これらの牛も宇宙船に乗せて宇宙の旅をさせる計画もあるようだ。(写真 牛)
そろそろアメリカ南部の旅も終わりだ。