「去り行く夏」

「去り行く夏」

OLYMPUS DIGITAL CAMERA
OLYMPUS DIGITAL CAMERA

あれだけ猛暑が続いていたが、台風が去ったら突然涼しくなった東京。数寄屋橋のソニービル一階には小さな水槽に熱帯魚がいた。なんだか寂しくなり夏が去って行く後姿を観ているような気持ちにさせられた。今年は台風の当たり年だったようでもう既に16号までやって来た。「暑さ寒さも彼岸まで」とは言われるが、今年の秋は早いようだ。

「さいたま歴史研究会8」
7月の研究会は旅行中で欠席、8月は夏休みで会がなかったので、9月の研究会は6月以来の出席だった。今月のテーマは「徳川豊子」様というお姫さまのお話し。徳川宗家は、幕末の15代目が「慶喜」、明治維新後の16代目が「家達」、17代目が「家正」でこの家正を父に、島津家からきた泰子を母にして生まれたのが、「豊子」だから正に正真正銘のお姫さまだ。彼女は大正2年(1913)生まれ、千駄ヶ谷駅前の6万坪の敷地を持つ豪邸で育った。その彼女が自伝「春は昔」を題材にして研究会は進められた。豊子は長じて「会津松平家」の松平恒雄の長男「一郎」に嫁ぐ。恒雄は外交官で後には参議院議員になるし、一郎は横浜正金銀行、後の東京銀行の頭取になるのだが、一郎と豊子の次男「常孝(つねなる)」は徳川宗家に養子に行き、第18代を継ぐ。秩父宮妃や三笠宮妃とも親類だが、彼女が関東大震災や太平洋戦争時のことを日記に記したのが先の「春は昔」という自伝なのだ。実に肌理細やかな形で日々を綴っている。戦争当時の食糧難などはお姫さまがしたことがない、農作業は下肥やりなどびっくりするような事情が書かれていた。面白かった。