「東京スカイツリーは今」

昨年度の来客数が卵zを大きく上回ったと報じられ、554万人だったとのこと。まあ、凄いことだ。あれだけ小さな町にそれだけの人が訪れたとは驚きだ。だが弱点も徐々に判明してきた。それは「風」だ。強風が吹くと危険だとしてエレベーターの運行を中止してしまうから、折角地方から出てきた人たちががっかりして帰ることになる。なんとかならないのか?日本の技術ならばなんとでもなりそうだが、駄目なのだろうか?

「江戸の庶民の生活は楽だったか?9」
最近読んだ本でこんな記述があった。「天保年間(1830年≠P844年)頃の江戸では、大工の手間賃が一日400文から500文だった」という。これは大体1文が15円相当だから、現在の価値では一日6000円から7500円ということになる。当時の物価は、「長屋の店賃が月500文、蕎麦一杯が16文、銭湯が10文、芝居小屋の木戸賃が16文だった」という。親子4人が月一両あれば楽に暮らせたというから、大体10万円から8万円程度で暮らせたということだ。一両は相場にもよるが、大体6000文から6500文だからだ。大工ならば、400文x20日で月8000文稼げるから、これは充分楽な生活が出来るクラスだったといえよう。貯金も出来たはずだ。大工のような技術者は特別だったとしても、力仕事の日雇いでもそこそこ貰えた様だから、仮に一日200文としても25日も働けば充分暮らしとはいえなくても、それなりの生活はなりたったといえよう。共働きしたり内職をしたりすれば充分だったわけだ。これで日本中から流れ込んできた人たちが江戸に集まって来ていても、それなりの生活ができたのだろう。江戸は火事が多かったから、そのための普請もまた盛んに行われたから労働力は必要な都市だったのだ。面白いのは男女の比率だが、男6ないし7に対して、女4ないし3という具合で結局結婚できる男性は限られていたというから「遊郭」が発達した原因にもなっていたらしい。それもで江戸はそれなりに楽しい町だったのだろう。

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