「旅暦回顧録 スペイン&ポルトガル編」

「旅暦回顧録 第27話 スペイン&ポルトガル編」
2012年オランダから帰国後、腰が痛くなり、聖路加病院で「脊柱管狭窄症」と診断された。兎に角10mも歩くと痛みで歩けなくなる。仕方なく成功率85%という手術に臨むことにした。9月どうやら成功し、普通に歩けるようになった。そこで12月に北部スペインと初めての国ポルトガルに行った。
まずは「巡礼の道」を行く。フランスから出発し、ピレネー山脈を越えて、北スペインの「サンチャゴ・デ・コンポステーラ」が最終ゴールのきつい巡礼の旅だという。
ローマ時代の巨大な水道橋があった。(写真:A!)

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(写真:A1)
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巡礼の道の案内板は「ホタテ」。道に埋められている。(写真:A2)
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巡礼の道の途中の橋。周囲には巡礼向けの宿もある。(写真:A3)
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いよいよゴール真近だ。「歓喜の丘」。向こうに目的地のサンチャゴ・デ・コンポステーラが見える。(写真:A4)
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教会に歩む巡礼者たち。ゴールです。(写真:A6)
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そしてここからアラブに支配されていたイベリア半島を奪還する反撃「レコンキスタ」が始まる。西暦711年に始まったイスラムのイベリア半島侵略で一時は北スペインの一部以外はイスラム化されてしまったが、反撃が始まり1492年に漸くイスラムを追い出した戦いだった。
スペインを後にポルトガルへ入る。まず訪れたのは古い港町「ポルト」。ポートワインの土地でもある。(写真:A6)
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ワインの醸造所もある。(写真:A7)
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「ニワトリ」はポルトガルの象徴だという。(写真:A9)
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ヨーロッパ大陸最西端の「ロカ岬」。(写真:A10)
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リスボンに入る。ジェロニモ修道院だ。(写真:A11)
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バスコダガマの墓だ。(写真:A12)
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「発見のモニュメント」(写真:A13)
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「1541 日本」とある地図だ。(写真:A14)
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ポルトガルと言えば有名な宣教師が「フランシスコ・ザビエル」だ。まあ問題の多い狂信的な宣教師だったが、よくも遠い国「日本」までやって来たものだ。
リスボンの街。(写真:A15)
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「タコライス」(写真:A16)
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珍しく蛸を食べるのがポルトガル人だ。
日本からは伊達政宗の時代にローマに行く使節が派遣されたが、一部の人はスペインに残って現地化したと伝えられている。日本人の遺伝子を持つ子孫が存在する訳だ。
大航海時代、ポルトガルとスペインは南米の植民地化を南北で切り分けて、ポルトガルが南側を、結果としてブラジルを支配し、スペインは北側を、従って南米ではブラジル以外、中南米からメキシコまで支配することになった。