「ガンダム」

お台場に大きな「ガンダム」像があった。私たち団塊の世代は「鉄人28号」や「明日のジョー」だったから、「ガンダム」とは縁がないが、団塊の世代第2世代、我々の子供たちの世代のヒーローだったのだろう。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?26」
「深川のお祭り」
深川は「富ヶ岡八幡宮」の3年に一度の「例大祭」は8月15日の「連合渡御」には120数台の神輿が練り歩く。「水掛け祭り」ともいうように辺りから水が撒かれ、多いに賑わう。今年は「子供神輿」だけが11日に担がれた。「神田明神、山王神社」と合わせて「江戸三大祭」と言われる伝統の祭りだ。その昔「紀伊国屋文左衛門」が巨大な「お神輿」を寄進したことでも有名だ。関東大震災で焼けてしまったが、20年位前の佐川急便の創業者が改めて寄進したものが今でも境内に飾られている。祭りは江戸っ子の楽しみの一つだったのだろう。余談だが、「富ヶ岡八幡宮」という名前は鎌倉の「鶴ヶ丘八幡」の対になるのだという。だから「ケ」が入っているらしい。
「幕藩体制」
徳川幕府の基本的な思想は「朱子学」だ。これは「忠義、親孝行」が中心の考え方だ。従って幕藩体制は「身分制度」が社会形態だった。身分の上下があり、支配階級と非支配階級に分かれていた。その支配体形は朱子学の考え方に基づいていたのだ。身分では「天皇」「公家」「士」「農」「工」「商」「非人」となるが、あくまで政治は天皇からの委託を受けた幕府、即ち武家の棟梁である「将軍」が執り行うということになっていた。「忠義」とは「主」と「家臣」の関係であり、「親孝行」とは「親」と「子供」の関係であり、これが基礎だった。こんか社会通念は実は戦前まで引き継がれてきていたのが日本の社会ではなかったろうか。最近映画で「風立ちぬ」「少年H」と太平洋戦争前後の話しがヒットしているが、その中での社会体制は江戸時代と余り変わっていないということに気が付かされるから不思議だ。

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