「八月花形歌舞伎観覧記」

「J  REPORT 2021 8月第4週号」 
「リタイアメント・ノート 12年2ヶ月目」
「VOL.1226 SINCE AUG.12th、1983」
「八月花形歌舞伎観覧記」
秋雨前線が停滞したかの如く、日本列島を豪雨が襲う中、歌舞伎座に赴いた。毎月の恒例行事になっている。
第二部「真景累ヶ淵 豊志賀の死(しんけい かねがふち とよしがのし)」(写真:K1)
(写真:K2)
「三遊亭円朝口演より」1859年江戸時代末期の落語家「三遊亭円朝」21歳の時の作品から歌舞伎に仕立て上げられたもの。真景とは神経の意味であり、幽霊が見えるのはその人の気持ち次第ということ。このお話し、実に97話にも分かれた長い話しで、今回はその内の一部「豊志賀の死」を描いたもの。(写真:K3)
「累ヶ淵」とは茨城県鬼怒川沿いの地名である。この舞台が始まる20年前の出来事からお話しは始まるのだが、今回の舞台の主人公「豊志賀」(中村七之助)は浄瑠璃の師匠で39歳の女性。右目の下に瘡蓋が出来、それを掻いたところ黴菌が入り腫れ上がる。今でいう面疔だ。それを弟子の「新吉」(中村鶴松)21歳が住み込みで面倒を見ている内に男女の仲になってしまう。そのため徐々に弟子が減っていく。しかし、同じ弟子で小間物屋の娘「お久」(中村児太郎)18歳は新吉に惚れていて毎日見舞いと称して師匠宅を訪ねる。それに嫉妬している豊志賀。実は因縁は20年前、旗本350石の次男「深見新左衛門」が人殺しをしてしまう。その深見の息子が新吉であり、殺された被害者の娘が豊志賀なのだ。二人は共にそのことを知らない。なんの因縁か。
さて新吉とお久は師匠の看病を放り投げて、寿司屋で食事をし下総にいるお久の叔父の庄屋の家へと逃げる相談をする。一方豊志賀は嫉妬で狂い死にしてしまう。新吉は叔父の「勘蔵」(中村扇雀)の家に行くと師匠が訪ねて来ていて奥で寝ていると聞かされた。自宅へ戻そうと駕籠屋を叔父が探しに行くとそこへ慌てた「噺家さん蝶」(中村勘九郎)が現れ師匠の豊志賀が死んだと告げる。でも師匠は奥で寝ていますというが、死んだ、寝ているの掛け合い。戻った叔父の3人で奥を覗くとそこに師匠はいなかった。幽霊だったと知れたのだった。
舞台はこれで終わりなのだが、後日談は新吉とお久は下総に行くが、最終的には新吉はお久を殺してしまうのでした。江戸時代の落語が歌舞伎になるという珍しいお話しでした。
人形浄瑠璃が歌舞伎になるのは多いが、落語がねえ。
(写真:K5)
(写真:K6)

「仇ゆめ」北条秀司 作・演出
西川流舞踏劇で17代勘三郎(今の勘九郎らの祖父)、18代勘三郎と演じられ、今回初めて勘九郎が狸を演じることになった作品だ。
京都島原近くの壬生寺に住む狸(勘九郎)は、島原の遊女「深雪太夫」(中村七之助)に惚れていて、踊りの師匠に化けて太夫に会いに来る。そして恋心を打ち明け、身受けしようとするが、揚屋の亭主(扇雀)より千両箱を持って来いと言われ、探しに行く。一方、本物の踊りの師匠(中村虎之助)が現れ、つれない態度に驚く太夫。そこに獣の足跡が沢山あることから、師匠に化けていたのは狸だということがばれてしまう。狸は千両箱を探しているが、揚屋の亭主は手下の若い者たちと共に罠を張り、狸を捕まえて殴ったり蹴ったりと散々な目に合わせる。片や深雪太夫に舞の師匠はもう江戸に帰らねばならず、江戸には妻や子供が待っているので太夫の気持を受けることが出来ないと告げるのだった。一人取り残された太夫の元へ瀕死の状態の狸がやって来る。そして太夫の手の中で死ぬのでした。
手下たちの役者は全員マスク着用でした。
コロナ禍、席は間隔を開け且つ3部に分けて演じられているが、発声もなし拍手のみの客席は寂しい感じがするのは仕方ないのだろう。今回も桟敷からの観覧でした。