第五日目(11月25日、月曜日)

南緯33度のケープタウンから南緯23度のヨハネスブルグに移動する。同地は1882年に金が見つかったことから発展した街だとか。金鉱の残骸ともいうべき「ぼた山」があちこちにある。それでもアフリカ最大のGDPはこの南アフリカであり、一人当たりGDPも小国のインド洋の国やダイヤ生産国についで第4位だというから凄い。走っている車も新車のような綺麗な車ばかり。車社会のこの国には車は必需品なのだろう。これまで見て来たエジプトやチュニジアとは根本的に違う。アフリカにあってアフリカでない国が南アフリカなのだろう。車はヨーロッパ、特にドイツ車が多いが、それに伍してトヨタ、ホンダ、日産も多かった。たまに韓国車もあったが、圧倒的に日本車のシェアーが高いと思った。朝のケープタウンは霧に包まれていた。昨日までの晴天はどこにいったのだろう?テーブルマウンテンは影も形も見えない。さて気温25度のヨハネスブルグは南アの経済の中心都市だ。ところが今の問題はダウンタウンから、企業や白人たちは治安悪化を理由に郊外へと移転しているという。だから、ダウンタウンはゴースト化しているようだ。確かに郊外の住宅建設は凄いものがあった。ヨハネスブルグだが、緯度はほぼ沖縄と同じ亜熱帯だが、高度が1500mと高原地帯だから、涼しい。大体南アフリカの平均高度は1200mだというから高原が当たり前の国なのだろう。人種隔離政策時代にマンデラ氏が住んでいた「そ・ウェト地区」に行く。これは「SOUTH WEST TOWN」の略で「SO WE TO」というらしい。マンデラ氏の逮捕前の家、1972年に教育が英語でなくなることに反対した少年たちのデモ隊に白人警察官が無差別に発砲した事件の場所を訪れた。当時、警察官には白人だけでなく黒人もいたが、仲間からは裏切り者扱いされていたらしい。過酷な運命だったのだろう。マンデラ氏は通信教育で大学卒業資格を取り、弁護士となったが、弁が立つので差別撤廃運動の指導者に祭り上げられ、結果として投獄されてしまったとのこと。ノーベル平和賞を獲得した人物だ。その後、人類の遠い起源とされる「原人」の骨が発掘された鍾乳洞にも行った。数万年前の人らしいが、どうも穴に落ちてしまい、鍾乳洞の中で石灰石に覆われたらしい。最後は「ライオン・パーク」に行き、幼い4?5か月の子供ライオンと写真撮影をした。本来はライオンに触れてということだったが、神経過敏なライオンたちなので、触らず近寄るだけにした。その他、放し飼いのキリン、ジャッカル、ヒョウらの猛獣や、愛らしい動物も沢山いた。今の季節、ヨハネスブルグは雨期で「スコール」が襲う。突然の雷と雨が我々を驚かせた。現在の南アの黒人たちは、2000年ほど前までは赤道付近に住んでいたが、人口増加により、南下し、それまで住んでいた原住民を吸収同化して現在に至っているらしい。ホテルに入ったが、本日も外出禁止とされた。治安が良くないらしい。目覚めたら、まだ朝の2時だった。まあ東京にいる時もほぼ同じ時刻には目を覚まして、ラジオを聴きながら本を読んでいるので、その通りの日常性に戻ったということだろう。時差は解消されたらしい。

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