「仮名手本忠臣蔵 六段目」

「J  REPORT 2021 6月第1週号」
「リタイアメント・ノート 11年12ヶ月目」
「VOL.1214 SINCE AUG.12th、1983」
「仮名手本忠臣蔵」
歌舞伎座にて五月大歌舞伎を観劇した。(写真:K6)
(写真:K1)
第2部はまず「浄瑠璃 道行旅路の花婿」だ。おかる勘平の逃避行を描く。主家の「塩治(えんや)」家が松の廊下で刃傷におよび切腹させられたが、その時「早野勘平(中村錦之助)」と腰元「おかる(梅枝)」はご法度の恋路に浮かれていて主家の危機に間に合わず、鎌倉の屋敷から京都へ逃れる途中の戸塚の山坂の夜明け前に追手に追いつかれる際の立ち回り劇。季節は桜満開の春。
(写真:K2)
(写真:K4)
続いて「六段目 与市兵衛内 勘平切腹の場」だ。
仮名手本忠臣蔵は十一段あるが、まずは六段目の前に五段目を説明しないと六段目がよく分からない。
(写真:K3)
五段目は京都山崎のおかるの実家に逃れた二人は、武士を捨て暮らすが、昔の仲間の「千崎弥五郎(中村又五郎)」に会った勘平は武士に戻り仇討に参加したいと述べる。そのために参加資金調達に悩む勘平に対し、女房おかるは祇園に我が身を売り渡し100両の金を得ることにする。前金の50両をおかるの父親「与市兵衛」が受け取り帰宅途中に山賊に襲われ殺されて金を奪われる。その時真夜中の山中で猪を追っていた勘平が銃で猪を撃ち手応えを感じたのだが、実際は人間を撃ち殺していた。だがその遺体からは50両が入った財布が出てきた。これで偶然に資金が手に入ったと喜ぶ勘平。季節は旧暦六月下旬。直ぐに勘平は50両を千崎に渡したのだった。
(写真:K5)
続く六段目はおかるの実家の場面。残金の50両を持って来たのは祇園の一文字屋の女房「お才(中村魁春)」と手代の「源六(市村橘太郎)」。二人は「おかる(中村時蔵」」を引き取りに来たのだ。条件は年季奉公5年、金額は100両。前金の50両は昨晩父親に支払い済。残金を払ったのでおかるを駕籠に乗せて連れ去ろうとするところに銃を担いだ「勘平(尾上菊五郎)」が帰って来た。ここで揉める。何故おかるを連れ去るのか?一方、契約書と前金の受け取りを見せられた勘平は自分が抜き取った財布が前金の50両だったということを知る。そこへ父親の与市兵衛の狩人仲間が遺体を見つけて運んで来た。驚くおかるの母「おかや(中村東蔵)」は嘆き悲しむ。
またそこに元の仲間の千崎弥五郎と「不破数右衛門(市川左団次)」が現れ、家老の大星由良助は裏切り者の勘平の資金は受け取らないと伝えに来て金を返したのだった。ここで勘平が義理の父親を殺したということが分かり、勘平は切腹する。だが、父親の遺体を改めた仙崎達は死因は刀瑕であり銃で撃たれたのではないことを見つける。早まって切腹してしまった勘平。虫の息の中、千崎は「仇討連判状」に勘平の名前を書き加え、血判を押させ、討ち入り仲間としてやったのだった。
仮名手本忠臣蔵は、元禄時代の赤穂浪士の討ち入りが主題なのだが、時代背景は足利尊氏が将軍に就任した時とし、舞台は鎌倉で、新田義貞の兜を奉納する際に、兜鑑定として「塩治判官(えんや)」の妻「顔世午前」が呼び出され、彼女に横恋慕した足利家の重役「高師直(こうのものう)」との間に起きた刃傷事件とその敵討ちとなっている。浄瑠璃と歌舞伎の両方がある。
実際の忠臣蔵は徳川五代将軍「綱吉」の時であり、怒り狂った綱吉により、即日「浅野内匠頭」は切腹、「吉良上野介」は無罪放免となったが、当時の御法「喧嘩両成敗」に反するとされていた。そして討ち入りが起きたが、この時は側近の「荻生徂徠」の案が通り、浪士は全員切腹となった。