「没後70年 吉田博展」

「J  REPORT 2021 2月第1週号」
「リタイアメント・ノート 11年8ヶ月目」
「VOL.1197 SINCE AUG.12th、1983」
今週は体調不良と巣籠生活のため、取材活動が出来ませんでした。従って、簡単なものになりましたことをお詫び申し上げます。

「没後70年 吉田博展」
副題「美が摺り重なる」は上野の東京都美術館で開催中だ。青空の下、久々に上野を訪れた。(写真:A1)
3月末になれば桜が満開になる通りだが、今は寂しい。(写真:A2)
「寒桜」が咲いていた。春の足音も聞こえてくるようだ。(写真:A3)
動物園は長期休園中だった。
都美術館入口の看板。山の絵だ。(写真:A5)
さてあまり日本では知られていない吉田博という人はどんな人なのだろうか?
明治9年(1876年)久留米の生まれで、当初は水彩画を描いていたが、明治の絵画家たちは憧れのフランスに留学したが、彼は単独でこれまで書いた水彩画を持参して言葉もしゃべれないアメリカに渡る。そしてデトロイトで個展を開いたところ、大人気を博して何と当時の金額で千数百ドルを売り上げたという。かなりをデトロイト美術館が買ったらしい。こうして海外で人気を得た吉田は、その後も海外を巡る。そして49歳の時、西洋画の要素を日本流の浮世絵の世界に生かそうと思い木版画を作成することにした。これまでの浮世絵のような実写とは違う描き方ではなく、西洋画の技法を生かし、それで浮世絵風な版画にしたのが彼の特徴だという。浮世絵といいうか木版画には絵描きと彫り師に摺り師のトリオとなって完成を目指すが、吉田はその全行程で目を離さず、注文を付けたという。ではその絵は正に実写であり、風景画は全て現地で自分の目で見て描いたという。また同じ版画を使って一日の時間の経過を描く色使いを変えた絵も多数ある。
その結果、彼の作品は故ダイアナ妃の執務室にも2枚飾られていた。では作品をパンフレットから見ていこう。
左「瀬戸内海集 光る海」(写真:A6)
右「富士十景 朝日」
左「上野公園」(写真:A7)
右「陽明門」
左「渓流」(写真:A8)
右「米国シリーズ エル・キャピタル」
左「印度と東南アジア プラチブールシタリ」(写真:A9)
右「印度と東南アジア タジマハルの朝募」
「瀬戸内海集 帆船 朝」(写真:A10)
これが版画かと思わせるもので大きな作品も沢山ありました。
明治大正昭和と活躍した吉田博氏。昭和25年に亡くなったが、素晴らしい絵画を残してくれました。ありがとう。