「吉原を訪ねて2」

「江戸の庶民の生活は楽だったか?50」
「吉原を訪ねて2」
「五十間道」のS字の道路の先に「吉原大門」と掛かれた金属の柱が道路脇に二本立っていた。その横に説明版があった。所謂「吉原縁起」と言われるようなもので、ここ新吉原がどうして出来たのかというようなことだった。すぐ傍にいた中年男性が私に話し掛けてきた。「観光の方ですか?」「ええ、そんなものです」と答えたら「ソープランドなら紹介しますよ」と言われた。「いやいや、違います」と断った。考えてみればここ吉原は地名こそ「浅草」に変わっているが、元々ソープランドがたくさんある場所なのだ。見渡すと確かにソープランドだらけだ。まだ昼前だったが、そういった客に見られたのだろう。ぶらぶらと吉原の中を歩き、元の見返りの柳のところまで戻った。S字の道にして、直接「大門」を見えなくしたのには何か理由があったのだろうか?ここを昼から男の人たちが列をなして吉原に向ったのだろう。田舎から出てきたおのぼりさんも吉原見物と称して訪れ、田舎への土産話にしたという。「吉原大門」と書いて、ここでは「おおもん」と読む。一方「大門」を「だいもん」と読むのは、芝の増上寺の門のことで、今でも地下鉄の駅名で残っている。吉原では「おおもん」、増上寺では「だいもん」が正しい。

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