「血の日曜日」

「ロンドン・デリー」
旅も4日目に入る。ここでは「アイルランド」の歴史的問題点「北アイルランド紛争」について書かなければならない。約700年に亘るイギリスの支配の中で独立運動が起こり、1921年にアイルランド共和国が独立したが、プロテスタントの多い北アイルランドはイギリス領として残ることを希望する人が多かったのでイギリス領となった。そして北アイルランドでは少数派のカソリック住民(アイルランド共和国側)と多数派のプロテスタント系住民(イギリス側)との間の戦いが1968年から30年も続いた。カソリック系の過激派が「IRA(アイルランド共和軍)」だ。こうして一般市民をも巻き込んだテロ行為が横行したのが「北アイルランド紛争」だ。実際にはプロテスタント系の過激派のほうの攻撃が凄く犠牲はカソリック系に多く出たらしいが、過激派として有名なのがIRAだといえよう。「血の日曜日」と呼ばれる歴史的な事件は、カソリック系の一般市民や学生たち約2000名の「公民権運動」のデモの時、勿論武器等持っていない非武装の人々にイギリス軍落下傘部隊が突然発砲し14名が死亡した事件のことだ。それがここロンドン・デリーで起こった。1972年1月30日の日曜日だった。17歳の少年4人を含む13名が即死、1名は病院で死亡した。当初イギリス軍はデモ隊が攻撃してきたので自衛のために反撃したとしていたが、近年事実が調査されイギリス軍が一方的に攻撃したとして英国首相が正式に謝罪した。痛ましい民族間(UKのアングロサクソンとアイリッシュ)と宗教間(プロテスタントとカソリック)の争いだった。今も事実上、宗教の違いは住む場所にも及んでおり、二つの住民たちは明確に別な場所に住んでいる。

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