「南町奉行所跡」

「南町奉行所跡」
有楽町駅前に昨年末火事で焼け落ちたパチンコ屋が再開した。確かクリスマスの頃だったと思うが、電気系統の失火で全焼したはずだが、半年ほどで再オープンした。ここはその昔、江戸時代は「南町奉行所」としてにらみを利かせていた場所だった。江戸城にもほど近く、今の東京駅日本橋口にあった「北町奉行所」と並んで江戸の治安と行政を司っていたのだった。その面影は勿論ないが、百数十年前にはここがある意味江戸の中心だったと言っても過言ではないだろう。

「江戸の庶民の生活は楽だったか?56」
「お寺と神社」
江戸時代は「神仏習合」であった。深川には今もあるが「大栄山金剛神院永代寺」は、「富岡八幡宮」の「別当寺」であり、神社は寺に付属していたという。掘割に囲まれた同じ「永代島」の中に永代寺と富岡八幡宮があり、上が寺、下が神社の地位にあった。だから江戸時代、「寺社奉行」が寺院や神社を管理監督していたが、決して「社寺奉行」ではない。永代寺は今では「成田山新勝寺別院」の方が大きく、間借りしているような状態だが、永代寺のほうがずっと古い。明治時代になって「神仏分離令」が出て、分かれたが、それまでは寺に付属して神社があったということだ。意外と面白い話しだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。