「沖縄の旅2」

第三日目
今日も朝から曇り空と強風が吹き荒れている。
まず向かったのは那覇空港近くの「瀬長島」だ。展望台があり、滑走路が見える。(写真:C1)
(写真:C2)
(写真:C3)
那覇の市街地だ。(写真:C4)
どこを見ても高いビルはない。空港近くということと米軍管制空域のために低いビルしかないのだろう。
ANAの旅客機が着陸してきた。(写真:C5)
(写真:C6)
更に南下して「ひめゆりの塔」を訪れる。2度目かな。戦争の悲惨さを痛感させられる場所だ。(写真:C7)
沖縄県の師範女学校と県立第一女学校の生徒先生らが多数亡くなった場所だ。(写真:C8)
内部の写真撮影は禁止なので悪しからず。(写真:C9)
(写真:C10)
(写真:C11)
(写真:C12)

次に訪れたのは「平和記念公園」。ここには塔があるだけ。(写真:C13)

「具志頭(ぐしかみ)城址公園」。小高い丘の上から東シナ海が見える。(写真:C14)
(写真:C15)
(写真:C16)
(写真:C16)
(写真:C17)
(写真:C18)
不思議なことに土地の所有者は「高知県」となっていた。(写真:C19)
そこに山梨県の戦没者慰霊碑もあった。(写真:C20)

次が「知念岬」。ここからは東シナ海と太平洋が一望出来る。(写真:C21)
(写真:C22)
(写真:C23)
(写真:C24)
(写真:C25)
(写真:C26)

「カフェくるくま」というのが丘の上にあった。意外や意外、多くの観光客で溢れていた。確かに眺めのよい場所だ。(写真:C27)
一番左の島が「久高島」だそうだ。(写真:C28)
更に右手は「タマタ島」。正面には岩礁がある。(写真:C29)
右手には漁港があった。そして抹茶アイスを食べた。(写真:C30)
カフェというより農場みたいな雰囲気の店でした。

こうして島の南半分を一周した。
運転に疲れた。ホテルに戻り、夕食は「豆腐チャンプル」(写真:C31)
「鶏唐揚げ」(写真:C32)
そして「ステーキ」。(写真:C33)
勿論ハイボール付き。

第四日目
本日は「首里城」を訪問する。
昨年10月31日に火災により焼失した首里城。昨年4月にパリのノートルダム大聖堂が突然火災で崩落したのに驚いていた半年後にまさか首里城も焼け落ちるとは誰が想像していただろうか。しかし既に復興の動きが進んでいた。
まずは「守礼門」からスタート。(写真:D1)
「園比屋武御嶽石門」(写真:D2)
ユネスコの世界遺産であることを示す石碑。(写真:D3)
「歓会門」(写真:D4)
首里城にある独特の城壁、湾曲している壁なのだ。日本や西洋の城の城壁と言えば直線的な結びつきで出来ているが、湾曲なのは不思議だ。
特に端の部分は特徴的に空に飛び出している。(写真:D5)
「久慶門」(写真:D6)
「瑞泉門」(写真:D7)
曲がった城壁がよく分かる。ダムの壁のようだ。(写真:D8)
(写真:D9)
「奉神門」(写真:D10)
この辺りまでは火災の影響を受けていない。「首里森御嶽」(写真:D11)
由来が書かれている。国王が外出する時にここに願い事をしてから出掛けたという。所謂パワースポットの一種か。(写真:D12)
「正殿前広場」ここからは火災現場だ。(写真:D13)
(写真:D14)
(写真:D15)
「底石」(写真:D16)
世界遺産の遺稿。(写真:D17)
(写真:D18)
崩れ落ちた瓦のかけら。(写真:D19)
(写真:D20)
(写真:D21)
「底石」(写真:D22)
「龍の部材」(写真:S23)
(写真:D24)
元々は屋根の上でこのように据えられていた。(写真:D25)
「復興展示室」、元の「南殿」だ。(写真:D26)
「東のアザナ」、所謂展望台に上る道だ。(写真:D27)
(写真:D28)
展望台からの光景。(写真:D29)
(写真:D30)
(写真:D31)
(写真:D32)
那覇市内が一望出来る。(写真:D33)
琉球は嘗て、日本は勿論、朝鮮、中国、東南アジアとの交通の要衝として発展し、貿易交易の要となっていたという。そんな各地の文化が複雑に絡まり、琉球独特の文化が醸し出されたのだ。

さて、食事は昭和28年に開店したという伝統ある「ジャッキー・ステーキハウス」に行く。(写真:D34)
(写真:D35)
古そうな店だが、沖縄一番という評判の店だという。(写真:D36)
いたるところに訪れた有名人のサインがあった。
メニュー。(写真:D37)
福沢先生のことが書かれていた。(写真:D38)
「スープ」と「サラダ」、特にドレッシングが甘い。(写真:D39)
「テンダーロイン・ステーキ、250g、ミディアム」(写真:D40)
@2800円也。柔らかい肉で美味しかったです。
いつも行列が絶えないという店でした。