「沖縄の旅」

「J  REPORT 2020 12月第2週号」
「リタイアメント・ノート 11年6ヶ月目」
「VOL.1189 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦95」「沖縄の旅」
もう何度目の沖縄訪問か?近年は孫たちを連れて2年連続で訪れたし、沖縄返還後、海洋博前に来たのが一番最初だから古い話しだ。
機内から島が見える。たくさんのタンクがある。どこかしら?(写真:A1)
(写真:A2)
海は荒れている。風が強そうだ。(写真:A3)
空港からレンタカー会社の車に乗り市内の営業所に行く。ここから車を借りる。ホテルへは約1時間。高速道路を進む。万座毛というホテルが林立している地域だ。チェックインした部屋からの眺め。(写真:A4)
曇り空で強風で美しい海とは言えない。(写真:A5)
夕方なので本日はホテル内のレストランで食事することにした。(写真:A7)
ハイボールを頼む。(写真:A8)
お通しはカツオの刺身。(写真:A9)豚しゃぶ食べ放題だ。(写真:A10)
野菜だ。(写真:A11)
お腹一杯になりました。

第二日目
いつもは食べない朝食を食べたところ、半分も食べられなかった。(写真:B1)
それで胃が重い。
本日まず訪れたのは「琉球村」。(写真:B2)
以前にも3S会で訪れたことがある施設だ。オプションで行えるのが、「シーサーの絵付け」だ。(写真:B3)
手先が不器用な私は悪戦苦闘した。まずは絵付け前。サンプルと並べる。(写真:B4)
絵付け後。どうだろう、似ていない。(写真:B5)
どうも選択を誤り複雑なシーサーを選んで絵付けしてしまったようだ。もっと単純なのにすべきだったようだった。
これでも一生懸命にやった積りだった。プロの造ったギタリスト。(写真:B6)
それでは村に入ろう。(写真:B7)
古い家を移築した施設だ。沖縄の方言が書かれている。(写真:B8)
屋根の上のシーサー。(写真:B9)
壺に浮かんだ花。(写真:B10)
家。(写真:B11)
親子のガジュマロ。鳥居がある。(写真:B12)
花が咲いている。(写真:B13)
(写真:B14)
三線(サンシン)の音色に乗って沖縄の歌声が流れる。(写真:B15)
始まったのは「エイサー」。500年程前に日本から来た僧侶が唱えていた念仏をアレンジしたという太鼓と踊りだ。勇壮且つ中々の迫力だ。(写真:B16)
(写真:B17)
(写真:B18)
(写真:B19)
(写真:B20)
(写真:B21)
(写真:B22)
沖縄古来の伝統的なスタイルと昔の人たちの姿。模型だ。(写真:B23)
(写真:B24)
獅子頭。(写真:B25)
沖縄の人たち。(写真:B26)
獅子。(写真:B27)
水牛がいた。(写真:B28)
昔はこういった水牛によりサトウキビを加工絞り出し、黒糖を造った。(写真:B29)
丁度時期的にはサトウキビを刈り取り乾燥させたものを圧搾工場で実際に製造に入ったとテレビで伝えていた、これからが黒糖の製造繁忙期だそうだ。

次に訪れたのが「残波岬」。(写真:B30)
残波岬灯台と海だ。(写真:B31)
(写真:B32)
荒れた海だ。(写真:B33)
強い風。(写真:B34)
岩が波と風で風化している。(写真:B35)
(写真:B36)

次は「万座毛」に行く。(写真:B37)
(写真:B38)
ここも激しい波と強風が打ち付ける。(写真:B39)
(写真:B40)
(写真:B41)
沖の尖がった島は「伊江島」だ。(写真:B42)
サンゴ礁に囲まれた沖縄の海。ここを埋め尽くした米軍の艦艇がいたとは。(写真:B43)
(写真:B44)
(写真:B45)
戦争の記憶を失ってはいけない。太平洋戦争中、米軍は日本本土決戦上、絶対に必要な沖縄攻略に膨大な物資と尽力を投入した。それまではサイパン島からB29で爆撃可能な2800km内は、北海道や本州島北部を除く日本を爆撃の範囲内に置いていたが、沖縄が攻略できると北海道まで全てB29で攻撃可能となる。そのため県民を含む多数の民間人が犠牲になった。
聞くと沖縄の冬は西高東低の気象配置で、湿った風が太平洋から訪れ、南東ないし北東からの強い風と曇り空を齎すという。だから海はいつも荒れているらしい。