「江戸城天守復元」

「J  REPORT 2020 10月第3週号」
「リタイアメント・ノート 11年4ヶ月目」
「VOL.1181 SINCE AUG.12th、1983」
「江戸城天守復元」
この度宮内庁は江戸城天守の復元を行い模型を公開した。早速皇居東御苑から江戸城本丸跡に向かう。入り口は「大手門」からとした。まずは竹橋にある元の勤め先である総合商社M社の新築工事がほぼ終わった姿を見る。(写真:A1)
大手門だ。(写真:A2)
立派な門だ。(写真:A3)
屋根に合った鯱が焼け落ちて残っている。(写真:A4)
大手門の石垣。(写真:A5)
「同心番所」。(写真:A6)
今で言えば警備室のようなもので武士が詰めていた。江戸城の番所で残っているのは3か所あり、「同心番所」「大番所」「百人番所」だ。
次は「百人番所」。(写真:A7)
ここには「甲賀組」「根来組」「伊賀組」「二十五組」の4組で百騎の同心がいて、それらの上に20人の与力がいて、組毎に交代で詰めていた。
本丸中之門。(写真:A8)二の丸跡。(写真:A9)
本丸の石垣と堀。(写真:A10)
「汐見坂」。(写真:A11)
汐見坂を登る。(写真:A12)
本丸跡。(写真:A13)
天守台。(写真:A14)
これは実は4代目の天守台だ。(写真:A15)
大奥跡。(写真:A16)
さあ、天守の模型です。少し注釈を述べよう。江戸城の天守は1代目は家康が建てた、2代目は秀忠が建て、それを上回る3代目の天守を3代家光が建てた。巨大な天守は、かわいがってもらえなかった父親に対する意趣返しか?その模型がこれである。30分の1の縮尺であり、実際には五層六階のもので天守台を含めると何と60m、今で言えば20階建ての建物に匹敵する超高層の天守なのだ、だが、明暦の大火で江戸城が全焼した時に失われ再建はされなかった。では見てみよう。
(写真:A17)
(写真:A18)
(写真:A19)
一層と二層にある飾り。(写真:A20)
二層の飾りを拡大した。(写真:A21)
最上階の金の鯱。(写真:A22)
(写真:A23)
この高さだから、江戸市中からは多分どこからでも眺められたのだろう。徳川家の威厳を高めたことだろう。
それでは帰ろう。汐見坂を下る。汐見坂という位だから、ここから江戸初期は日比谷の入江から江戸湾が見えたのだろう。今はご覧のように高層ビル群が真近に迫っている。
友人の話しだと、政府の中では1000憶円規模で天守閣再建の動きがあるという。国内需要とインバウンド需要の回復を促し、フランスのベルサイユ宮殿のような観光スポットにしたいというのだが、無理無理。税金の無駄だ。この模型を置くだけでいいよ。