「東北の旅、平泉編」

「J  REPORT 2020 10月第2週号」
「リタイアメント・ノート 11年4ヶ月目」
「VOL.1180 SINCE AUG.12th、1983」
「旅暦96」「東北の旅」「平泉編」
旅の後半だ。ここ仙台市は市町村合併を繰り返したことにより、太平洋側から内陸部の山形県境までの広い範囲が市内となった、人口108万人の政令指定都市だ。宮城県の人口が230万人だから、ほぼ半数が仙台市民ということだ。関係ないのだが、県庁所在地が隣の県の県庁所在地と接しているのが、全国で2か所ある。一つは仙台市と山形市、もう一つが京都市と大津市なのだ。
さて本日は岩手県の平泉を訪れる。新幹線で一関へ、そこから平泉へとJRで移動する。昨日の御釜頂上が暴風雨で気温9度とは激変し、曇り空ながら気温20度と冬から春になったような雰囲気だ。
宮城県内では稲の刈り取りがほぼ半ばといったところか。(写真:A1)
平泉の観光地点を循環する「るんるんバス」に乗る。まずは「毛越寺(もうつうじ)」。ここでは「萩祭」が行われていた。(写真:A2)
門前だ。(写真:A3)
ここで地元の元教師のおばあさんにガイドを頼む。毛越寺は源頼朝により焼き払われてしまったが、その後の保存が良かったせいで跡地はきちんと残されていた。まずは「毛越寺復元図」を見る。(写真:A4)
広大な土地に大伽藍があったことが分かる。本堂だ。(写真:A5)
薬師如来が御本尊だ。(写真:A6)
「南大門」の基石跡。当時は二階建ての門があったという。(写真:A7)
「大泉の池」3000坪の広さがある。(写真:A8)
池の中の「立石」(写真:A9)
(写真:A10)
池。(写真:A11)
世界遺産の「常行堂」(写真:A12)
稲穂が干しているのに漸く巡り合う。(写真:A14)
実は宮城県内では殆ど稲穂の自然乾燥が観られなかった。人工的な乾燥に出しているのだろうが、岩手でお目にかかることが出来た。自然乾燥の方法は地域により異なるが、岩手や宮城では一本の棒にスカートのように稲をつるしていく。やはり本来の自然乾燥のほうが米は美味いのだろう。多分自家消費の分か。
紅葉が徐々に進む。(写真:A13)
平泉文化遺産センターでは芭蕉の奥の細道の白河以北の行程と歌が示されていた。(写真:A15)
(写真:A16)
(写真:A17)
(写真:A18)

次は「中尊寺」だ。(写真:A19)
参道は上り坂、かなりきつい。疲れた。(写真:A20)
「弁慶堂」だ。(写真:A21)
由緒が書かれている。(写真:A22)
弁慶と義経の像だ。(写真:A23)
御本尊だ。(写真:A24)
そしてこれが「笈」だ。勧進帳の安宅の関で弁慶が背負っていたという曰くの笈だという。(写真:A25)
もし事実ならば凄い話しだ。
「観音堂」だ。(写真:A26)
あちこちにたくさんのお堂があるので、全て割愛させて頂いた。
「中尊寺」だ。(写真:A27)
境内の松。(写真:A28)
本堂。(写真:A29)
御本尊です。(写真:A30)
さあ、いよいよ「金堂」なのだが、栫堂の中にあり写真撮影不可なのでお許しください。(写真:A47)
奥州藤原三代の栄誉の印がこのお堂だ。如何に藤原氏が金(砂金)を持っていたかの証明でもある。しかし、義経を匿ったことから鎌倉に睨まれ攻められて滅んだ。新しい栫堂だ。(写真:A31)
芭蕉の句碑だ。「夏草や兵どもが夢の跡」(写真:A32)
旧栫堂だ。(写真:A33)
内部だ。(写真:A34)
実は私の記憶によれば、中学時代に古い栫堂の時に一度来たことがある。そして40数年前にも来たことがあり、その時は栫堂は今の鉄筋コンクリート造りだった。ここは藤原氏4代のミイラが保存されていてお墓の意味もある。
そして義経を祀った「高館義経堂」に行く。(写真:A35)
頼朝に追われた義経は藤原秀衡を頼り、少年時代を過ごした平泉に来て、ここ高館に判官館を建て住まう。しかし頼朝の圧力に負けた4代泰衡の裏切りにあい、攻められ妻子と共に自刃する。31歳だったという。1189年だ。それを哀れんだ伊達政宗が義経と弁慶の「供養塔」を建てた。(写真:A46)
衣川の古戦場。弁慶が立ったまま死んだという曰くの戦場だ。(写真:A36)
ここにも芭蕉句碑が。(写真:A37)
しかし、現実はさらに厳しく泰衡は結局頼朝により滅ぼされ、平泉は破壊される。
JR平泉駅。(写真:A38)
(写真:A39)
仙台に戻り、一昨日訪れた寿司店「すし哲」を再び訪れた。今日はカウンターに座り、店長の哲さんの長男さんの前に座る。ガラスケースの中には牛肉と思われるものが、実はこれが生の本マグロだ。(写真:A40)
お任せで出てきたのは、一昨日と同じ「北寄貝」と「かつおの酢の物」。(写真:A41)
「煮だこ」(写真:A42)
ここまでは同じメニューだ。そして次が「刺身盛り合わせ」(写真:A43)
左下から反時計回りで、「さんま」「あじ」「いわし」「つぶ貝」「黒鯛」「こち」「赤烏賊」「本マグロ」だ。
この本マグロは、塩釜産で巻き網漁法で獲られた血抜きなしの新鮮な生マグロだ。実に美味い。青森大間だけではないよ、マグロは。血抜きしていないから早く食べないと傷むのだそうです。時間が勝負。
最後は勿論「すし哲物語」の握りをまたまた食べた。(写真:A44)
全てが近海ものの新鮮な魚です。ネタが寿司の全てと一切加工しないのがこの店の特徴です。素材で勝負してます。
お吸い物は海老でした。(写真:A45)
因みに長男さんは右利きでしたが、息子さんは祖父と同じ左利きだそうです。
哲さんの姓は「白幡」、哲さんの兄が本塩釜で「白幡」という寿司屋をやっていて、その直ぐそばが弟の哲さんがやっている「すし哲」なのだ。
いやあ満足でした。やはり美味いものは値段に関係なく存分に食べたいですね。
今回の東北の旅では、2回「すし哲」に、1回は「たんや 善次郎」で食事ということになりました。