「浜離宮恩賜公園の御茶屋」

「J  REPORT 2020 9月第4週号」
「リタイアメント・ノート 11年3ヶ月目」
「VOL.1178 SINCE AUG.12th、1983」
「浜離宮恩賜公園の御茶屋」
都心の憩いの場でもある浜離宮恩賜公園で、木曜日に「御茶屋ガイドツアー」があると聞いて出掛けたら、コロナで中止だった。だが少し粘ったら園長さんが現れてわざわざお越し頂いたのだからと、担当者に案内させてくれるということになった。参加者は勿論私一人です。
「潮入りの池」(写真:B1)
海水99%、隅田川の水1%で魚は海の魚が住んでいるという。潮の満ち引きを利用して2つの水門を上げ下げして調節しているという。この池の周りには4つの御茶屋がある。まずは「松の御茶屋」(写真:B2)
「鷹の御茶屋」(写真:B3)
「燕の御茶屋」(写真:B4)
池の周りはビル群だ。(写真:B5)
(写真:B6)
冷たい抹茶を出して頂いた。本当は210円だが、ただでした。(写真:B7)
「中島の御茶屋」(写真:B8)
マガモだ。(写真:B9)
秋になると渡り鳥が沢山やってくるという。秋というか晩秋11月末は紅葉が見事だという。是非とも来よう。
「中島の御茶屋」と池。(写真:B10)
堀だ。(写真:B11)
「松の御茶屋」(写真:B12)
「中島の御茶屋」(写真:B13)
「鷹の御茶屋」の内部。ここは将軍の鷹狩の時の休憩所でもあった。将軍の座。(写真:B14)
内部(写真:B15)
(写真:B16)
将軍はここに座り、池を眺めた。私も将軍目線で眺める。(写真:B17)
(写真:B18)
(写真:B19)
釘隠し(写真:B20)
明治以降は鷹狩は中止になったが、網を使った狩りは行われていた。網だ。(写真:B21)
叉手網(さてあみ)(写真:B22)
(写真:B23)
鷹の模型と私。(写真:B24)
これらの御茶屋は徳川11代将軍家斉の代に完成させたという。しかし、先の大戦で消失し、徐々に復元してきた。
中島の御茶屋は昭和58年に、松の御茶屋は平成22年に、鷹の御茶屋は平成29年に、そして燕の御茶屋は平成27年に修復された。
パンフレットにある「こぼれ話」を書いてみよう。
「松の御茶屋」天保5年(1834)正月に将軍の許しを得て町奉行など22人が御庭で一日過ごし、岡持ち入りの菓子や鮨、にしめなど、当時では高級で珍しい食べ物を食べたという。
また、鳥羽伏見の戦いに敗れた15代将軍慶喜は、開陽丸で大坂から逃げ出し、ここの「お上がり場」から上陸し、松の御茶屋で休憩し、空腹で家臣からビスケットをもらったという。