「清澄庭園」

「清澄庭園」
地元なのに一度も訪れたことがなかったのが、不思議な位な庭園だった。
幕末には「久世大和守」の下屋敷だったが、明治維新後、岩崎彌太郎の別邸となっていた。後に東京市に寄贈されたという。関東大震災で甚大な被害を被ったが、再建されて今に至る。(写真:C1)
まあ、入ってみよう。梅雨時のしとしと降る雨の中だった。手水鉢があった。(写真:C2)
庭園内には、中央に池があり、その周囲を回遊するようになっているのだが、伊豆を中心とした各地の石が集められていて、池と石に松が至る処に配置されていた。(写真:C3)
(写真:C4)
(写真:C5)
(写真:C6)
(写真:C7)
池は静かだった。(写真:C8)
周囲の緑が池に映えていた。(写真:C9)
(写真:C10)
(写真:C11)
(写真:C12)
小さな橋で島に渡れる。(写真:C13)
(写真:C14)
おや、鳥がいた。(写真:C15)
鶴なのかな?(写真:C16)
(写真:C17)
また石だ。(写真:C18)
(写真:C19)
花菖蒲の池だが、既に花はない。(写真:C20)
「芭蕉石」があった。松尾芭蕉はこの庭園から南に少し行ったところに「芭蕉庵」を設けていて、ここから奥の細道へと旅立ったという。その庵で作ったのは「古池」の句だ。句が刻まれた石は震災後この地に移設されていた。(写真:C21)
由緒が書かれていた。(写真:C22)
紫陽花が少しだけ残っていた。(写真:C23)
紅葉の木もある。(写真:C24)
また石だ。本当に石が多い。(写真:C25)
(写真:C26)
庭園の由緒が書かれていた。昭和4年とある。(写真:C27)
石と松だ。(写真:C28)
(写真:C29)
岩崎彌太郎とその息子の写真だ。(写真:C30)
昔の地図だ。(写真:C31)
意外と美しい庭園がこんな近くにあったのかと改めて驚かされた。
長雨に祟られている東京から勢古口がお送りしました。