「弘前城」

「弘前城」
日本には天守閣が残っている城が12あると言われている。その一つが弘前城だという。午後から弘前城を訪れボランティアガイドの方の案内で城を見て回った。まず結論から先に言おう。実は弘前城には「天守閣」はない。天守閣は出来上がって直ぐに落雷で火災が発生し焼け落ちている(1627)。今、櫓の一つが「天守」と呼ばれ、1811年当時のものが残っているが、これを誤って天守閣だと報じている本が数多くあるという。現地ガイドはこの櫓は天守閣ではなく三層の「天守」というものだと言っていた。天守は内堀の石垣近くにある。それは櫓の役割から当然だが、天守が傾き出したので、やむなく一時移動させ、石垣の大改修を行うという。1611年に建てられたこの城。たった4万石ちょっとの津軽藩なのに坪数15万坪(因みに江戸城の内濠内の広さは約30万坪)と言う巨大な城なのだ。これは徳川の姫を正室に貰った結果、東北の雄藩「仙台」「山形」「秋田」への後からの睨みが役割でこれだけ巨大な城を建てる許可を幕府が与えたというのだ。また桜の名所でもある。西濠の横に「桜のトンネル」と呼ばれる桜の名所がある。西濠の反対側にも桜があり、この西濠を挟んだ風景がアメリカはワシントンDCのポトマック河畔の桜に似ているという。いずれにしても2,600本余の桜は多数の種類が混在している。一番多いのは染井吉野だが、管理が美味く言っているので100年以上もの古い染井吉野がまだ多く残されているのも弘前城の特徴の一つだろう。小林さんと言う「樹木医」の技術によるところが多いとのことだった。今は緑が美しいが秋の紅葉、冬の雪景色も美しいとのことで四季の弘前城を楽しみたいと思うのだった。当日も桜の根本に肥料を追肥していた。
夕方青森に出て磯料理の店に行く。去年も食べたが、「ふじつぼ」が美味しかった。本日は青森泊まり。びっくりしたのは青森グランドホテルが廃業していたことだった。泊まったホテルでは朝食に「帆立の卵とじ」がバイキングの中にあり、その豪華さに驚かされた。本当に凄い朝食だった。焼き魚だけでも3種類もあり、ご飯に、蕎麦に、パン、味噌汁にせんべい汁。まああるはあるはの品揃えでした。これも客集め、リピーター確保には確かに効果があるだろう。さて早々に盛岡、新花巻経由で釜石に行く。お目当ては今度世界遺産に登録が予想されている日本で最初の製鉄用高炉があった「橋野鉄鉱山」だ。だが生憎の激しい雨。現地では野晒し吹き曝しになるというので今回は諦めて帰京した。昼食を食べた地元釜石の磯料理の店主の話しでは、3・11では皆直ぐに高台に逃げたので津波による人的被害は意外に少なかったという。その際には他人を助けるな、自分だけで逃げろが原則なのだとか。
さて、7月6日から東欧のブルガリア、ルーマニアへの旅に出掛ける。従って新しいHPの更新は16日以降になりますので悪しからず。
以上、勢古口が北東北の旅の報告でした。

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