「上野山にて」

『J REPORT 2020年3月第3週号』
「リタイアメント・ノート 11年9か月目」
「VOL.1151号 SINCE  AUG.12th, 1983」
「上野山にて」
いつも上野のお山には美術館や博物館を廻るために行くのだが、今回は趣向を変えて山の入口から歩くことにした。
参道の入口には2本の桜の木が満開を迎えていた。(写真:B1)
(写真:B2)
(写真:B3)
(写真:B4)
江戸時代初め、家康の信頼厚かった天海僧正が奈良の吉野から桜を移築したのが始まりだという上野の桜。(写真:B5)
おや、こんなところに噴水があったとは知らなかった。(写真:B6)
カエルの噴水ですね。(写真:B7)
階段を登ると「西郷さん」の銅像だ。(写真:B8)
今更ながら大きな像だったのに驚く。3m以上はあろう。(写真:B9)
写真嫌いの西郷だけに実際の顔は不明だ。(写真:B10)
犬も本当の姿は分からない。(写真:B11)
彼の座右の銘「敬天愛人」(写真:B12)
彼は明治維新の大功労者、立役者だったが、大久保や伊藤博文らの征韓論(朝鮮に派兵し植民地化)に反対して下野し、後に薩摩で旧武士階級に担がれて西南の役を起こすが、敗戦し死亡した。その後明治天皇の意思で名誉は回復された。
「彰義隊」の墓があった。(写真:B13)
十五代将軍慶喜を守護するという目的で集まった幕臣の彰義隊。幕末の上野戦争で約2千名の幕府軍がたった一日の戦いで官軍、実際には薩長軍に敗れ去り、その遺体は野晒しにされたという。それを上野の山の僧侶が憐れんで荼毘にふして、一部をここに埋葬したという。官軍も酷いことをしたものだ。(写真:B14)
(写真:B15)
戦いの絵があった。(写真:B16)
敗戦し逃れた彰義隊の一部は水戸から船で仙台を経て函館に向かうことになる。今も幕臣の会というのがあるという。骨のある幕臣は果たしてどれだけいたのだろうか?将軍に殉じてまでも戦おうとしたのは僅かだった。
さて、桜の名所の上野の山、ここがメインストリート、桜の季節は両側の桜が咲き誇るが、今はまだ咲いていない。今年は宴会の類は中止となると東京都知事が発表した。(写真:B17)
「清水観音堂」だ。(写真:B18)
上野の山の地図だ。(写真:B19)
京都の清水寺のご本尊を祀っている末寺だ。清水の舞台を模したものだ。(写真:B20)
下を見る。不忍池が見える。(写真:B21)
本堂だ。(写真:B22)
隣の建物だ。(写真:B23)
面白い御神籤があった。獅子舞の人形が御神籤を咥えてくるというもの。(写真:B24)
(写真:B25)
動きが面白い。中々咥えにいかない。(写真:B26)
(写真:B27)
お堂を下から見る。(写真:B28)
不忍池の中にある弁天堂だ。(写真:B29)
それにしても人出が少ない上野でした。観光地には大打撃だ。早く通常に戻ることを祈るばかりだ。

「開花宣言出ず」
13日の東京は暖かく気温は19度近くまで上がったようだ。そこで靖国神社の桜の開花標準木を訪れた。朝方の快晴の天気から薄曇りの東京。だが残念ながら、本日は開花宣言にはならなかった。
何とか2つだけ桜の開花があったというが、肉眼では見えない。まあ標準木の桜を見てもらおう。
(写真:D1)
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(写真:D8)
果たして14日には開花宣言出来るのでしょうか?