「長崎市内観光」
歩いて集合場所まで向かう。中華街の北門だ。(写真:G1)
「長崎サルク」という観光関連の団体がある。長崎観光をサポートする団体だ。そこに申し込みしてガイドを派遣してもらった。(写真:G63)
まずは出島表門橋の前で揃い踏みしてスタート。(写真:G2)
出島の目の前は旧県庁跡。盛んに解体工事が行われていた。(写真:G3)
その隣が「長崎奉行所西役所」跡で石垣が残されていた。(写真:G4)
長崎の江戸時代の組織は、長崎奉行が江戸と長崎にそれぞれ1名おり、1年交代で江戸と長崎を行き来した。その下に「長崎代官」がいて、これは本来は旗本の役なのだが、実際は地元長崎の人がなった。更に実務を担当する「長崎会所」があり「町年寄」が運営した。
西役所のある場所は「江戸町」というところで、意味は江は港、戸は先で港の先の意味らしい。オランダ人の江戸町をアルファベッドで書いてもらったら「JEDOMACHI」と書いたという。それがこの町のシンボル。(写真:G5)
ここに「南蛮船到着」の碑がある。南蛮とは「ポルトガル」の意味だ。(写真:G6)
少し歩くと「大音寺坂」があった。通称「喧嘩坂」だ。(写真:G7)
長崎では大変有名な坂だそうで、江戸時代に佐賀藩の老武士二人が雪の日にこの坂を登っていて、杖が滑って上から降りてきた若い衆に泥がはねたそうだ。この若衆たちは地元の有職者である町年寄「高木家」の者で酒に酔っていた。そこでこのことで喧嘩となったが、この時は周囲の人たちの取り成しで別れたのだが、高木家に戻った連中が怒り出し仕返しに佐賀藩の蔵屋敷に殴り込み、さんざんに乱暴した挙句、老武士の刀を奪って戻ったという。奪われた武士は、武士の命を取り戻すべく応援の藩士を集めて、今度は高木家に殴り込みをかけ、まず何も知らない当主の高木氏を切り殺した。この時高木家の息子を含む若衆たちは逃げてしまった。老武士二人はいずれも切腹。その後奉行所により、佐賀藩士10名が切腹、5名が謹慎。高木家の若衆は斬首、息子は親を見捨てて逃げたとのことで重追放の上、蕨所となり全財産を没収されたという。
近くに坂本龍馬の姉の「おつうさん」の像があった。(写真:G8)
中々の美人だ。この近くの家に一時龍馬と共に住んでいたという。
また遠山家の裏家紋の刻まれた石があった。(写真:G9)
これは江戸町奉行となった桜吹雪の彫り物で有名な遠山の金さんの父が、遠国奉行である長崎奉行時代のものだ。彼は500石の旗本だったが、非常に優秀で3000石の長崎奉行に抜擢され、更に江戸に戻っては勘定奉行にもなっている。
今は立町小学校となっているが、元々は長崎代官所があったが、更にその前は「サント・ドミンゴ教会」があった。発掘で一部が保存されていた。日本で最初に石敷の歩道跡。(写真:G10)
井戸だ。(写真:G11)
さあ、「長崎奉行所立町役所」だ。(写真:G12)
目の前に「長崎会所」跡がある。
奉行所内部をたった30分で回る。
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貿易の品々。これが莫大な利益をもたらすのだ。(写真:G18)
「お白州」だ。ここで判決を告げた。(写真:G19)
江戸時代の小石がそのまま残っている。
奉行の部屋。一番奥まったところにある。(写真:G20)
NHKの大河ドラマで使われた龍馬撮影の場。(写真:G21)
貿易を描いた屏風。(写真:G22)
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輸入品にはラクダや象もあった。(写真:G24)
船の模型。(写真:G25)
「解体新書」の作成には長崎の通事の協力が不可欠だった。(写真:G26)
オランダ語と日本語との辞書。(写真:G27)
この写真は明治元年の一年前のもの。長崎の港には各国の軍艦が停泊している。(写真:G28)
もう内戦は時間の問題と各国が武器の売却に奔走していることが分かる。
鉄砲だ。特に多くは南北戦争の残り物だ。(写真:G29)
昼食は「長崎ちゃんぽん」発祥の店「四海楼」へ。そこから見た長崎港。三菱ドック方面。(写真:G30)
稲佐山方向。(写真:G31)
駅方面。(写真:G32)
皿うどん。普通の店より値段が高い。(写真:G33)
ガイドさんとの待ち合わせ場所は旧「香港上海銀行」。(写真:G34)
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国宝でもある「大浦天主堂」。(写真:G39)
私は膝痛で、ここでリタイアして休憩。(写真:G40)
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後で聞くと、ガイドさんは実は隠れキリシタンの末裔だとか。6代前に長崎から逃れて五島に移ったのだという。村の長以外は全て隠れキリシタンだったという。未だにそういう人たちがいたとは驚き。
グラバー邸に向かうが、ただいま工事中で観ることは出来ない。サルク君がいた。(写真:G41)
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対岸には世界遺産に登録された明治近代化の遺産がある。クレーンだ。今も現役だ。(写真:G42)
古いドッグ。(写真:G43)
長崎港。(写真:G44)
女神橋。(写真:G45)
グラバー邸。(写真:G48)
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幕府に提供されたオランダの蒸気船。今も観光船として活躍している。(写真:G46)
夜景を見に稲佐山に登る。たくさんの観光客が日没を待つ。
昨日行かれなかった軍艦島だ。左に二つ並ぶ島の右側の島が軍艦島だ。(写真:G49)
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夜景だ。函館のほうが綺麗だな。(写真:G51)
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稲佐山の通信用の塔。(写真:G53)
夜食は「一口餃子」だ。
ニラ玉。(写真:G55)
餃子。(写真:G56)
レバー焼き。(写真:G57)
店を出たらそこは思案橋通り。飲み屋街なので若い女性を含めて物凄い人がいた。(写真:G58)
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