「日本橋七福神巡り2」

「日本橋七福神巡り2」
「松島神社・大國神」(日本橋人形町2-15-2)
日本橋人形町を中心とした地域に「日本橋七福神」がある。それでは回って見ることにした。
「松島神社」はビルとビルの間にあった。(写真:N8)N8
創建は口伝によれば、鎌倉時代の元亮(1321)以前と推定される。昔この辺りが入海であった頃、小島があり、柴田家の祖先が下総の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎掲げる燈火を目標に、舟人が公開の安全を得たと伝えられる。御祭神は「大國主神」をはじめとしてご神格の尊い神様が、14柱と多いのも特徴の一つか。(写真:N9)N9

「末廣神社」(日本橋人形町2-25-20)(写真:N10)N10
慶長元年(1596)以前に稲荷祠として鎮座。この地にあった官許の遊郭「吉原」の氏神として信仰された。明暦の大火で吉原は浅草の奥に移され「新吉原」となった。ここが吉原の跡かと思いちょっと感激でした。
主神は「毘沙門天」。(写真:N11)N11
幕府に仕える武家からの崇敬も篤く、旗下火消頭に庇護や祭事の奉仕もさせている。毘沙門天の御神徳は勝運向上が有名だが、その昔当社は疫病鎮めの信仰も集めたことから病気平癒は勿論厄除け、財運向上、福徳繁栄などの「多聞天」の別名のとおり、今では様々な御神徳を求めて参拝客が多いという。(写真:N12)N12

「笠間稲荷神社」(日本橋浜町2-11-6)(写真:N13)N13
日本三大稲荷のひとつ茨城県、笠間稲荷神社は笠間藩主牧野家により代々厚い信仰が寄せられてきた。江戸時代末期の安政6年(1859)、藩主牧野貞直公が笠間から御分霊を江戸下屋敷に奉斎したのがはじまり。以降牧野家のみならず日本橋魚河岸の守り神として、五穀、水産、殖産興業の守護神として商人庶民間を問わず広く信仰を集めた。「寿老神」は長寿の神にして、お導きの神、幸福の神として人々の運命を開拓して下さる福徳長寿の守護神だ。(写真:N14)N14
因みに、江戸の名物と言えば、「火事と喧嘩は江戸の華」だったり、どこにでもあったのが「伊勢屋、稲荷に犬の糞」とその多さが有名だった。その一つがどこの町内にもあったのが「稲荷神社」だ。ここにも狐の像がたくさんあった。(写真:N15)N15