「トルコ至宝展」
六本木の国立新美術館で「トルコ至宝展」が開幕した。「チューリップの宮殿 トプカプの美」と称して、数々の宝物が展示されていた。(写真:T1)
(写真:T2)
私は2度トルコを訪れている。勿論トプカプ宮殿にも2度行った。当然門外不出の宝物もたくさんあり、素晴らしい宝の山だった。また行きたいと思っている。この宮殿はご存知の通り、「オスマン帝国」の「スルタン」の住処であり、ハーレムでもある。往時には1000名の美女がいたという。その中には美しい奴隷たちもたくさんいたという。この至宝展の中心にあるのが「チューリップ」なのだ。どうしてなのか?その理由は、チューリップのトルコ語「ラーレ」の文字を逆から読むと、アラビア語の「アッラー」になるという。神ということだ。そこでトルコでは神を表す花としてチューリップが使われていて、チューリップを色々な物に描くようになったという。(写真:T3)
最盛期には東ヨーロッパから北アフリカ、西アジアまでの広大な地域を領土としていたオスマントルコは、遂にはアラビア半島のメッカも占領し、モハンマドの遺品を今のイスタンブールに持ち帰ったという。髭をいれていた入れ物もあった。
トルコ軍の行軍時の曲が「メフテル」で、この曲が今の行進曲の原点になっているという。有名なのは「モーツワルト」や「ベートーベン」の行進曲がある。ヨーロッパの人たちはこの曲が聞こえると恐れおののいたという。
パンフレットからそれらの至宝を見てみよう。(写真:T4)
まず一番上の赤い上着は、スルタンが来ていた「儀式用のカフタン」というもの。本物だ。
時計回りに「宝飾手鏡」、宝石がたくさん埋め込まれている。勿論使ったのはハーレムの女性たちだ。
中央は「ターバン飾り」だ。これも宝石の塊のようなもので、世界中から集められた宝石類だ。
左は「七宝製バラ水入れ」だ。客の手にバラの水をかけたという。
左上は「エメラルド製柄の短剣」だ。左下は「スルタンの花押」だ。
アジアとヨーロッパの接点にある街「イスタンブール」のヨーロッパ側には、ブルーモスクや、アヤオフィア博物館もあり、強国トルコの栄華が分かる。(写真:T5)
また親日的な国民性からも我々には親しみやすい国だ。1890年(明治27年)にトルコ海軍の軍艦「エルトゥール号」の遭難時に和歌山の人たちが懸命な救助に当たり、69名を救出したが、587名が死亡または行方不明となった大惨事だ。しかしこの事故への献身的な日本国民の対応がその後の日本贔屓の原点にもなっていた。