「合同クラス会」

「合同クラス会」
昭和39年卒の中学校の合同クラス会があった。この年、秋には東京オリンピックが行われた年だ。あれから55年が経った。総数約250名だったが、というのは留年する人もいるので確実な総数を私は知らない。その内物故者が33名、14%の死亡率だ。70歳、古希を迎えてこの数字が低いのか高いのかは分からないが、徐々に己の寿命を知る歳になったということか?
86歳になるS先生は体育の先生で初めて私たちのクラス担任をされたので、一番思い出の多いクラスだと語られていた。(写真:F1)F1斎藤先生
そして懇談会だが、出席者は80数名にも及び、米国からポートランド在住のK君も参加された。彼のロスの家でお世話になったこともあり、また建築家になったY君ともビートルズ談議に花が咲いた。弁護士のS君、中央区長に立候補するY君、神奈川会メンバーの商社マンM君とI君、小学校校長だったN君、大手メーカー勤務だったK君、同じくK君、またまたK君、医者のT君とS君、大手銀行マンだった野球のW君、地中海や太平洋をヨットで放浪したS君と多彩な我がクラスの仲間たち。
締めは部歌(校歌)斉唱でした。(写真:F2)F2旗
懐かしい顔もいれば、誰だか全く分からない人もいて、年月の経過を感じたクラス会でした。
現在の部長(校長に当たる)が出席されて現状の学校の話しをされたが、1年生は1クラス24人が10クラス、2年3年は6クラスでクラス替えなしだそうだ。我々の時代は5クラスでこれも3年間クラス替えなしだった。また来年会いましょう。
以上、春近しの東京から勢古口がお送りしました。