「カラコルム」

第三日目
「カラコルム」
夜明け、そして日の出。清々しい朝だ。(写真;K1)

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(写真:K2)
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通貨を観てみよう。
左上から「2万トゥグルク」、チンギスハーンの肖像が描かれている。これが最も高額な紙幣。左中央が1万トゥグルク、その下が裏面。右上は5000トゥグルク、中央が1000トゥグルク、、下が500トゥグルクで、1円は約21-22トゥグルクだ。(写真:K7)
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ゲルの中はベッドにストーブにテーブルのみ。後は別棟で食堂ゲルやトイレシャワー棟などがある。従ってトイレには歩いて行く。夜は懐中電灯持参で夜道を歩かなくてはならない。(写真:K4)
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今日は曇り空だ。約90km離れた「カラコルム」に向かう。途中の景色は以前と全く同じ草原が続く。「カラコルム博物館」に入りモンゴルの歴史を学ぶ。これは1250年頃のカラコルムの模型。当時は、世界を征服していた。見える門は北門。(写真:K7)
ここには、捕虜になったヨーロッパ人とそのための教会、同じくイスラム系の人とモスク、中国人の一時と道教の寺院、そしてモンゴル人と仏教寺院があった。(写真:K8)
城郭内の最大の建物はお寺。王の宮殿は南門の外側にあった。東西南北の門の外は市場になっていた。城郭の規模は南北に1.6km、東西に1.3km。宮殿跡は満州族が侵入してきたために、自ら破壊し土の下に隠した。ここカラコルムは7世紀と13世紀の2度に亘りモンゴルの首都となった。カラコルムとは「黒い石」という意味。6世紀から8世紀当時の物として「人石」がある。(写真:K9)
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これは支配していた「突厥(とっけつ)」人の像だ。顔が破壊されているのはモンゴル人と違うヨーロッパ系が混ざった人種だったために一部顔が破壊されたという。
「鹿石」は近くに墓があることを示すもの。鹿の角の絵も観られる。(写真:K10)
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(写真:K11)
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(写真:K12)
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これはベルトが刻まれていることから墓の主は男性を意味していることが分かる。(写真:K13)
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亀石には歴史や王の命令などが書かれていた。その人の業績を辿ることが出来る。この石にはカラコルムへの首都の移転命令が刻まれている。
モンゴル帝国の一番の英雄は「チンギスハーン」。1162年生まれの1227年没。81部族に分かれていたモンゴルを統一した。(写真:K14)
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次の「ウグデイハーン」(1186-1241)の時代には更に帝国は拡大され、アジアは朝鮮、満州を、西はトルコまで支配した。武力はさることながら統治のために、今の郵便システムのような「ウフト」という馬による駅伝を発明し、隅々にまで帝国の意志が伝わることとなった。当時のパスポートだ。(写真:K24)
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次の「クビライハーン」(1215-1294)は首都をカラコルムから「北京」に移した。
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この時期が最大の大帝国で、イランイラクまで、そして中国全土をも征服した。5つに支配地位を分割し、王の親戚たちで分割統治させた。この頃我が国との間では2度の「元寇」が起こった。進軍するモンゴル軍の姿を観てみよう。(K17)
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(写真:K18)
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(写真:K19)
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「亀石」は亀の甲羅の上の石に、歴史や王の命令を刻み記録として残されたもの。(写真:K21)
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(写真:K22)
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(写真:K23)
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ここには首都をカラコルムに移すよう命令した文章もある歴史的な石だ。
このカラコルムを含む「オルホン渓谷」(約12万ha)がユネスコの世界文化遺産に指定(2004)されている。ここで突厥時代の王の墓が発掘された。そこから掘り出された現物だ。
ローマ時代のコイン。(写真:K25)
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埋葬された王の骨、火葬されていた。(写真:K26)
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次に訪れたのはモンゴル最古の仏教寺院だ。「エルデニ・ゾ」という寺院の守り神は「ライオン」だ。(写真:K27)
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(写真:K28)
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お寺は中央部が最も古く、帝国29代目の王の時、1586年に建てられた。両側の寺はそれに続いて建てられた。資材はカラコルム建設時の材料を流用している。お寺を巡る壁は400m四方。18世紀には62の寺と3000人の僧侶がいた。社会主義国家となったために、寺の破壊と僧侶の虐殺が起こった。残ったのは18の寺だけだった。寺にある釈迦像は、中央の寺の釈迦は「35歳」の釈迦。(写真:K30)
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向かって左の寺の釈迦は「80歳」の釈迦。(写真:K29)
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向かって右の寺のは「13歳」の釈迦だ。(写真:K31)
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即ち過去、現在、未来を描いているという。若き頃の釈迦。(写真:K32)
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悟りを開くための修行中だろう。
これはウランバートル市の守り神「フェニックス」だ。(写真:K33)
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モンゴルの仏教はチベットから渡ったもので、「黄帽派」と呼ばれていて、厳しい修行を行い、結婚や子供を設けること、飲酒も禁止されている。対して「赤帽派」は戒律が緩やかだという。
昼は地元の鶏料理。スープ。(写真:K34)
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鶏肉ライス。(写真:K35)
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「モンゴル相撲」を見学。肩を覆う布とパンツ、それに長靴で戦う。肘、膝等、手以外が地面に触れたらお終い。(写真:K36)
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(写真:K37)
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多彩な技は100以上あるという伝統の相撲だ。
次に訪れたのは丘の上にある「帝国記念記念碑」。(写真:K38)
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3人の有名な王の支配地域を示している。チンギスハーン時代。(写真:K39)
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ウグデイハーンの時代。(写真:K40)
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クビライハーンの時代。この時が最大だ。(写真:K41)
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中央にある「オボウ」は前にも述べたがシャーマニズムの象徴で神と人間を結ぶ接点で、そこにある献布は5色あり、黄色が太陽、青が水、赤が火、緑が草原、白がミルクを表す。
地元の人が暮らしているゲルに向かい、彼らの生活の一部を垣間見る。2000年頃からゲルにもソーラーパネルが使用され電気が造られていて、テレビ、ラジオ、冷蔵庫などがあるという。(写真:K42)
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勿論オートバイもある。(写真:K43)
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バイクの騒音は家畜を怯えさせ、肉の質も悪くなると言われている。
燃料は糞を乾燥させたエコなもの。燃料はこれしか使わず、これで暖房や煮炊きが出来る優れもの。(写真:K44)
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約7日から10日で乾燥され燃料となる。
歓迎に「ミルクティー」が出た。(写真:K45)
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お菓子も出してくれた。揚げパンにヨーグルトの乾燥させたもの。乾燥ヨーグルトは1年は保存可。(写真:K46)
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馬乳酒も出たが、これはちょっと苦手だ。酸っぱいし味が悪い。当然全て自家製だ。
ゲルは3000年の歴史がある。入った右手が妻の席、右手が夫と子供の席。妻の席の前にストーブがあり、ここで調理する。夫の帽子、衣装、ベルトなどはゲルの奥へしまう。宗教上のものも同様。敵は南からやって来るのでゲルのドアは南向きだ。昔は扉はなかった。いち早く敵の襲来を見つけるためだ。
子供の山羊と羊が出て来た。山羊を抱く私。(写真:K47)
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奥さんが子羊にミルクを与えていた。(写真:K48)
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野生に近い馬を調教するために柵から出して捕まえようとするが、中々に素早く逃げる馬。(写真:K49)
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(写真:K50)
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(写真:K51)
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捕まえた馬にはまず人が裸馬状態で走らせ、馬が諦めるまで続けられる。その後鞍を置くまで調教するらしい。
この家族、大学生の息子がウランバートルの大学にいるという。学費は羊の毛を売るで、キロ5000円、羊の皮で一頭分1000円等々になるので現金収入は充分あるという。馬50頭、その他羊、山羊、ラクダで650頭いるという放牧民では中流家庭だそうだ。子供は村の小学校に行くが、放牧なので家族から離れて低学年は知人か親類の家に下宿、4年生以上は寮生活するという。
キャンプに戻る。「アネモネ」が咲いている。
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この花は雪の下から一番最初に顔を出す花で、山羊の大好物だそうだ。この花を食べた春先の山羊が人間の身体に最もよいとされていて、皆好んで食べるという。
夕食は羊の焼肉「ホルホグ」だ。(写真:K53)
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第4日目
「再びウランバートル」
ウランバートルのへ戻る。一路草原を走る。牧童が馬に乗り、羊や山羊を移動させていた。(写真:U1)

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山羊には確かに角がある。羊と山羊の共存だ。(写真:U2)
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いよいよウランバートル市内に入る。道路脇で青空市場が開かれていた。(写真:U3)
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どうやら交渉している様子だ。(写真:U4)
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庶民の生活の一端が覗かれる。庶民の足はバスと白タク。これはバス。(写真:U5)
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タクシーを殆ど観ない。聞くと白タクが大流行りだとか?庶民の足だそうだ。市内にある古いお寺「ガンタン寺」に行く。詳しくは面倒なので説明を省く。(写真:U6)
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次が「観音寺」だ。(写真;U7)
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ここの観音様は「開眼供養」の功徳があるという。眼が見えなくなった人が祈念し、眼が再び見えるようになったという故事によるという。(写真:U8)
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この観音大仏、高さが26.5m、重さ90トン、大きな大仏だ。この寺は1930年当時、51の寺と5000人の8歳から80歳までの僧侶がいたが、社会主義化の粛清で、寺の43は破壊、多くの僧侶が殺された。その経験から民主化後の2008年には死刑制度が廃止された。今は2000人の僧侶と、二つの大学もある。
話しは変わるが、道々に動物の死体があったが、あれはやはり病気の可能性があるので、直ぐに処理するという。
モンゴルのことをもう少し聞いてみた。国土は北のロシア国境付近は森林地帯で、中央部が草原、南の中国国境付近は砂漠地帯だそうだ。月収は公務員が一番安く出300USDから600USD、民間の資源開発会社だと、職種によっても違うが、1000―3000USDだとか。民間にはボーナスもあるらしい。平均寿命は、男67歳、女73歳だが、年金受給年齢は、今が男60歳が65歳へ、女性は65歳が70歳に順次引き上げられつつあるというから,如何に社会保障費をカットしようとしているのかが分かる。なるべく至急しないのが政府の方針らしい。死亡原因は癌(特に肝臓がんだというから食べ物が影響しているのか?)が最も高く、次が交通事故だという。
教育は義務教育までは無料だが、大学は有料だ。
ウランバートルのアパートだが、賃貸というのはないようで買い取りだそうだが、結局銀行でローンを組んでもらうという。通常返済月額は1万円程度のため、その家族も共働きするしかない。
そうだ。遊牧民の相続だが、家畜は財産と見なされていて、仮に子供たちが遊牧民になりたくないといった場合には、財産を相続、この際は家畜は相続人のものとかり、実際の放牧は人を雇って行うのが一般的な方法らしい。放牧権といった感じが?
この寺の守り神の獅子には腕の下の子供がいるので、雌だという。(写真:U9)
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丁度この時期、大学の卒業式があり、着飾った若い男女がお寺に参詣に来ていた。(写真:U10)
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綺麗なドレス姿の女性の足元を見ると運動靴だったりして、アンバランスが子もいたが、皆溌溂としていた。
昼食は、サラダ。(写真:U11)
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ボルシチ。(写真:U13)
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黒パンに豚の脂身を乗せ、マスタードと一緒に食べた。この脂が下の上の温度で溶けて上手い具合にパンに絡まる。しっとり感が出た。(写真:U12)
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ウクライナ料理の牛肉の衣揚げ。(写真:U14)
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スーパーが併設された旧国家百貨店で買い物を付き合う。殆ど椅子で寝ていた。最後が民族舞踊と音楽のショー。撮影禁止だったが、隠れて一枚だけ撮った。(写真:U15)
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歌は発声方法が変わっていて、一度に二つの音を響かせる独特のものだった。但し、椅子が狭くて低くて、前後がこれまた狭く、膝と腰に来てしまった。あの施設には2度と行かない。これは民族衣装。
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夕食はシャングリラホテルでビュッフェ形式だった。ステーキもあり充分に満足だった。二皿食べた。(写真:U16)
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(写真:U17)
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残ったお金でウォッカを頼んだ。結局エデンとかいう銘柄で、250ccのみ3万トゥグルク(約1500円)でした。

第5日目
帰国日だ。早朝の便での帰国となる。飛行場に向かう。途中に火力発電所があり、煙を出していた。
飛行場は閑散としていた。
それでも出発間際になると人々が集まり、結果満席状態だった。お疲れ様でした。