「イザベラ・バード」

「さいたま歴史研究会 第17話」
「イザベラ・バード」
幕末に日本に訪れた英国人女性がいた。その人が「イザベラ・バード」さんだ。1831年ヨークシャーのバラフリッジ生まれ。健康上の問題があり、医師から海外旅行を勧められ、20歳代にはアメリカやカナダ、40歳を過ぎてからオーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、アメリカに旅し、47歳の時、1878年に日本にやってきた。アメリカから上海経由で横浜へ、そして東京へとやってくる。
6月10日に東京を出発し、日光、鬼怒川から会津盆地、阿賀野川を下り新潟へ、小国から米沢盆地、更に山形、横手、秋田、青森と旅して、北海道に渡り、函館、室蘭、白老、平取、帰路は函館から船で横浜へ9月17日到着した。東京では英国大使館に宿泊した。そこで日本国内旅行のために、通訳兼案内人、食事係、洗濯係をする人を雇う。ヘボン博士の紹介で伊藤青年18歳を雇う。身長145cmの蟹股、丸顔かつ平坦、強壮な日本人だというのが彼女の印象。会話は英語で意思疎通が出来たので、1日12ドルで雇う。日光までは人力車3台、馬1頭を連れて行く。田舎を廻った訳だが、明治10年の地方はまだ江戸時代の延長上と変わらなかった。まず宿は汚いし、人がのぞきに来る。宿で宴会をしていて煩くて寝られない。そのなかで日光の「金谷家」は素晴らしかったとほめている。当主の金谷さんはたいそう快活で愉快な人だったとのこと。後の金谷ホテルになる家だ。その他は皆貧しく汚らしい着物を着ていて、今日本に必要なのはぐんかんや西洋の贅沢品ではなく、きちんとした道路だとも言っている。伊藤青年は一所懸命に英語を勉強している。感心している。皮膚病の人がいたので薬を付けてあげたら、翌日から沢山の人が現れて、治療を希望してきた。医者と間違えられたらしい。(写真:バードさんと彼女の手書きの絵)バードさん本人
もう一つ感心したのが「上山温泉」だ。清潔で空気がからりとしていて、美しい宿屋であり、楽しげな日本庭園、全く西洋文化を入れていない、本当の日本だと思った。彼女の旅の目的は、外国人のまだ知らない北日本、特に農村を観たかったという。そこで観た農村は江戸時代より疲弊しているように思われたと言っている。写真は農村の人々と風景だが、上山では子守をしている美しい娘を見て驚いている。(写真:農村の人と風景)バードさん農村の人
因みに当時の両替レートだが、幕末の1860年では1両が3.75ドルだったという。1ドルは今で言えば2万5千円程度か。また、彼女は絵が上手い。バードさんは日本が気に入り、その後も5回も訪れている。日本では日清戦争を挟んで、産業の発展、鉄道の敷設、教育の普及、治外法権の撤廃と国力が伸張していたが、農村の状況は殆ど変わっていなかったと言っている。それにしても明治10年に殆ど徒歩で、勿論彼女は人力車とか馬とかの乗り歩いてはいないが、日本の田舎を巡った外国人女性がいたことには改めて驚かされた。