「山形・米沢の蕎麦、粉屋小太郎」

「J  REPORT 2022 7月第2週号」 
「リタイアメント・ノート 13年1ヶ月目」
「VOL.1271 SINCE AUG.12th、1983」
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「旅暦第112話・東日本麵の旅」
「山形・米沢の蕎麦、粉屋小太郎」
JR東日本の「大人の休日倶楽部パス」を利用しての旅の初日はいつも行く米沢の蕎麦でした。
東北新幹線で宇都宮付近の風景だ。(写真:B1)
青々とした田んぼには稲が植えられている。(写真:B2)
今年は関東地方はまあままの雨降りだったが、西の地方は水不足も予想されている。(写真:B3)
特に今は梅雨が短く、6月なのに猛暑に襲われている日本列島、参りますね。
米沢駅から車で5分ほどのところにあるのが「米沢藩御用達」の蕎麦店「粉屋小太郎」だ。(写真:B4)
(写真:B5)
中庭では苔生した風景を観ることが出来る。(写真:B6)
何か札が壁に貼られていた。(写真:B7)
今回も頼んだのは「割子蕎麦五段重ね」(写真:B8)
七段重ねもあるが、今回も五段だ。出雲蕎麦と同じ食べ方だ。
一段目は「山菜」を乗せる。
二段目は「鮪」だ。(写真:B9)
出汁を少しづつ掛け食べる。余った出汁は次の段に掛ける。
三段目は「千切りとろろ」(写真:B10)
四段目は「なめこ下ろし大根」(写真:B11)
この店の蕎麦は少し固めだが、のど越しもよく、実に美味い。
五段目は「海老の天麩羅」(写真:B12)
蕎麦湯で出汁を割り飲む。(写真:B13)
いやあ美味しかったです。帰りの米沢駅にある張り子の牛でした。(写真:B14)
米沢は薄曇りで太陽の直射日光がないために多分30度ほどの気温でしたが、都内に戻るとぞっとする暑さにげっそりの私でした。

「今週の映画と本」

「今週の映画と本」
「ザ・ロストシティー」(TC日比谷にて)私的評価★★(今年54作品目)
古代の遺跡に眠る宝石を探すために誘拐された女性作家とそれを救おうとする男性の冒険物語。つまらなかった。

「ベイビー・ブローカー」(TC日比谷にて)私的評価★★★★★(今年55作品目)
是枝監督らしい作品だった。子供を赤ちゃんポストに入れた若い女性。それを売り飛ばそうとする二人の男。人身売買の罪で犯人を現行犯逮捕しようとする女性警察官2人。それらに囲まれた赤ちゃんの運命は?
家族とは、家庭とは、を問い掛ける映画でした。

「イントロダクション」(HTC有楽町にて)私的評価★★(今年56作品目)
韓国の青年の日々を描くのだが、元カノを追ってのドイツ行きや、ソウルでの元カノとのデート、そして母親からの𠮟責と何が何だか分からない映画でした。

7月1日付け日経新聞夕刊の「シネマ万華鏡」の批評によれば、「リコリス・ピザ」が5つ星、「エルヴィス」が4つ星、「丸けーた、ラザロヴァ」が4つ星、「ヘンな二人の恋の話」が4つ星、「わたしは最悪」が3つ星、「モガディシュ 脱出までの14日間」が3つ星、「ブラック・フォン」が3つ星、「バスライトイヤー」が3つ星でした。

「私の2022年の映画の評価は?」あくまで私の私感ですからね!
★★★★★=「ゴヤの名画と優しい泥棒」「ベルファスト」「大河への道」「PLAN75」「峠 最後のサムライ」「エリザベス 女王陛下の微笑み」「ベイビー・ブローカー」
★★★★=「クライ・マッチョ」「スティルウォーター」「コーダ あいのうた」「オペレーション・ミンスミート ナチを欺いた死体「ザ・バットマン」「林檎とポラロイド」「ガンパウダー・ミルクシェイク」「オートクチュール」「ナイトメア・アリー」「ファンタスティック・ビーストとダンブルドアの秘密」「名探偵コナン ハロウィーンの花嫁」「親愛なる同志たちへ」「トップガン マーヴェリック」

「私の2021年に観た映画は107本でした」
特によかったのは、★★★★★=「ある人質」「ノマドランド」「ドライブ・マイ・カー」でした。
2022年アカデミー賞でドライブ・マイ・カーが国際長編映画賞を受賞。

「2022 観劇シリーズ」 2021年の歌舞伎観劇は11度でした。
寿初春大歌舞伎(歌舞伎座)第2部観劇。
新作歌舞伎「プぺル~天明の護美人間」(新橋演舞場)朝の部を観劇。
2月大歌舞伎第2部を観劇。「春調娘七種」&「義経千本桜 渡海屋大物浦」。
3月大歌舞伎第2部を観劇。「河内山」&「芝浜革財布」
4月大歌舞伎第2部を観劇。「荒川の佐吉」&「義経千本桜」
5月大歌舞伎第2部を観劇。「暫」&「土蜘」。
6月大歌舞伎第2部を観劇。「信康」・「勢獅子(きおいじし)」
7月大歌舞伎第2部を観劇予定。(桟敷席確保)
  第1幕「夏祭浪花鑑」=主演は海老蔵。第2幕「雪月花三景」=海老蔵、ぼたん、勘弦の親子が出る。

「2022年旅暦」
1月に福岡・博多、北海道・札幌、富山、2月に富山・氷見、福岡、熊本、長崎・佐世保、大宰府、石川・金沢、3月に北海道・釧路、そして石川・橋立、4月は札幌に、信州(松本、長野)と東北(米沢)に、6月には宮古島に行きました。更に6月の下旬には大人の休日俱楽部パスで米沢、長野、清里,会津若松に、
また7月には九州(博多、佐賀、熊本)、佐渡島と釧路で避暑、8月には長岡で花火を、9月には北海道に、そして10月には高松に行く予定。
また海外には8月、11月にハワイに行く予定です。

「2022 本の記憶シリーズ」  2021年の読書数は、277冊でした。
「春風譜」(辻堂 魁 著)祥伝社文庫 私的批評眼★★★★★(今年146冊目)「風の市兵衛」シリーズ第31弾

「お波津の婿 一」(千野 隆司 著)角川文庫 私的批評眼★★★★(今年147冊目)「新・入り婿侍商い帖」シリーズ第10弾

「金狐の首」(風野 真知雄 著)角川文庫 私的批評眼★★★(今年148冊目)「大江戸定年組」シリーズ第7弾

「春だから」(野口 卓 著)集英社文庫 私的批評眼★★★★(今年149冊目)「めおと相談屋奮闘記」シリーズ第7弾

「散華の女」(井川 香四郎 著)幻冬舎文庫 私的批評眼★★★(今年150冊目)「番所医はあちきん先生休診録」シリーズ第3弾

「悪党の娘」(佐々木 裕一 著)小学館文庫 私的批評眼★★★(今年151冊目)「春風同心十手日記」シリーズ第3弾

「山形・米沢の麺、やまとや本店」

「山形・米沢の麺、やまとや本店」
実は米沢蕎麦の旅の翌日に訪れたのが長野だったのだが、どうしても目的の店が見つからず炎天下約1時間探し回ったが諦めて帰京してしまった。電話番号非公開でした。
従って、米沢には二日振りの訪問でした。今回はラーメンです。
梅雨も明けた南東北。福島から見た「安達太良山」だ。(写真:C1)
高校大学と夏合宿した山だ。
空は晴れ渡っていた。そしてまた米沢へ。向かうは南米沢の「やまとや本店」(写真:C6)
店内にはこんなものがありました。(写真:C2)
(写真:C3)
(写真:C4)
「米沢五麺会」という組織があり米沢ラーメンの伝統を守っているという。地元産のちぢれ細麺だという。頼んだのは普通の「中華そば」@700円(写真:C5)
米沢は米処だし酒処だ。そんな中で育まれたラーメンとは?皆さん驚くかもしれないが、山形は蕎麦処でもあるが、ラーメン好きでも有名な所だ。蕎麦屋さんよりもラーメン屋さんのほうが圧倒的に多いと思う。
ラーメンのスープは?うん?甘いよ。驚くべきことに出汁は醤油ベースの甘い味でした。塩気が駄目な私はスープは二口程含んだだけで、あとは麺と具材を食べました。チャーシューにメンマと刻み葱にナルトの単純なものでした。甘味は多分野菜類がスープに染み出たのではなかろうか?
あっさりしたシンプルな米沢ラーメンでした。ラーメンを食べたのは多分4-5年振りだと思う。最後に食べたのがいつだか思い出せないが、銀座の「はしご」か門前仲町の「弁慶」だから当時マスクはしていなかったから、かなり前のことは確かだ。
米沢駅より盆地の東側の奥羽山脈の一部が見えた。(写真:C7)
ここから北に向かうと蔵王がある。
さて山形新幹線が入線。(写真:C8)
帰り掛けに駅弁の「牛肉どまん中」を買いました。(写真:C11)
本日は炭水化物の日になりました。

「千葉・勝浦の担々麺、宮下」

「千葉・勝浦の担々麺、宮下」
特急若宮は京葉線経由外房線で勝浦に向かう。蘇我までは東京湾沿いに進む。右手の海側には倉庫群や工場群が、そして左手の内陸部はマンション群に戸建て住宅が並ぶ。内陸に入ると緑一色。森に田畑に住居が密集している。やがて房総半島を横断すると太平洋が見えて来る。到着した勝浦での第一声は「涼しい!」だった。気温27-28度だが、涼しい海風が吹いていて都心の暑さを忘れさせてくれる。
訪れたのは「宮下」という初めて行く店だ。(写真:D1)
勝浦は担々麺を売り物にしている町だ。
店内はこんな雰囲気。(写真:D2)
(写真:D3)
来店した有名人かな?(写真:D4)
出て来た「担々麺」この店では「ラージャンメン」を担々麺と呼ぶらしい。(写真:D5)
具材はひき肉に玉ねぎのみ。ラー油に浮いているみたいなものだ。
確かにクーラーもないが、海風が通っていて涼しいだけが取り柄かな。
海岸に出てみた。(写真:D6)
(写真:D7)
(写真:D8)
(写真:D9)
静かな海だが、風が気持ちいい。極楽ですね。
駅へ戻る。ホームの椅子に座ると風が通っていて最高でした。(写真:D10)
しかし、帰り掛けに人身事故で途中で75分間待たされました。京葉線にはホームドアは全くありません。いい加減にしてもらいたいね。

「人それぞれ、人生はドラマの如し、医師S君のお話し」

「手前勝手世界食物語、第628話」
「人それぞれ、人生はドラマの如く」
「医師S君のお話し」
神奈川会の6月の例会はいつもの野毛小路の「海とはたけ」で開催された。毎月参加者の一人が人生の転機を話す「私の履歴書」の披露ということになっていて、今回は医師のS君の番でした。この集まりは中学の同級生の飲み会なのだが、幼稚舎からの進学者は主催者のM君のみで他の7名は外部進学者で当時でも18倍の競争率を潜ってきた強者?なのだ。
さて医師のS君は実家が産婦人科医で、お父様は幼稚舎から本大学の医学部卒で開業医になったというのだ。元々室町時代より医業が家業であり、江戸時代には越後(どこの藩かは知らないそうだが)の藩の御典医の家系だそうだ。そこで医師になるのは当然というのが家訓でもあったようだったが、S君自身は高校時代も一所懸命にスキーと麻雀に明け暮れたそうで勉強は殆どしていなかったから、当然本校の医学部へは進学出来ず、2浪して医学系専門大学の昭和大学を目指したそうだ。無事合格後が「白い巨塔」ならぬ「黒い巨塔」の荒波を泳ぎ切った人生の話しが始まった。
S君の履歴書によれば、大学医学部入学後6年で無事卒業し優秀な成績で医師免許を獲得し医学部産婦人科学教室入局(1975年4月)、1982年4月医学博士号取得、外部病院への出張や医長、講師を経て、1984年3月から米国ピッツバーグ大に2年間留学。帰国後亀田病院産婦人科部長を2年経験し、1990年5月昭和大学の産婦人科助教授、2006年1月から昭和大学・藤が丘病院助教授、2007年2月教授になり、2014年3月退職の輝かしい職歴となっている。
以下は主催者M君が纏めた文章があるので、それを掲載させて頂きたい。M君宜しいですね。
ではその教授への道筋が実に大変だったようで、それを纏めたM君レポートに登場してもらおう。
その前に各病院にはそれぞれ大学医学部の影響力が非常に強くあり、特に東京大学の力が大きく、昭和大学産婦人科教授を東大医学部が握っていたポジションだったということを覚えていてもらいたい。
M君レポートによれば、S君が達成した世界的な発見は、妊娠している母体の血液中から胎児のDNAを検出し、それを利用して母体の負担が少ない簡単な検査で異常妊娠を発見し、更にその内容を相当程度まで正確に判定出来るという研究開発をS助教授(当時)とS君の弟分である「SS医師(現教授)」とが世界最初に実現することを見つけた。研究成果をまとめた論文が世界的に評価の高い医学雑誌、英国“ランセット”に掲載され、そこで高い評価を受けたという。世界的評価の結果、従来は東大からの派遣者が既得権となっていた昭和大学産婦人科教授ポストを昭和大学出身者が占めることになったという。
その後S君は客員教授を経て、横浜市北部病院勤務し、現在は悠々自適な生活で房総半島の別荘でのサーフィンに興じていると聞いている。まあ留学中の話しとかここには掲載出来ない面白い話しも沢山あったが、それは黒い巨塔の脇の話しとして除けておこう。それと医学部の教授というのは我々が認識している一般的な大学教授とは色合いが違い、一国一城の主であり人事権を持つ絶対的な社長だということだろうか。
因みに奥様の家系も医師だそうです。凄い家族ですね。
さあ、食事もお酒も進めますよ。
「三浦の野菜盛り合わせ」(写真:A1)
「突き出し=マグロ中落」(写真:A2)
「三浦半島地場の魚の盛り合わせ」(写真:A3)
「ピッザ」(写真:A4)
「厚揚げ」(写真:A5)
「焼き鶏」(写真:A6)
73歳から74歳のお爺さんたちです。(写真:A7)
皆、元気です。来年は後期高齢者ですが。
以上、連続猛暑日が続く東京より勢古口がお送りしました。